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考えが止まらない

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有り難し有り難し 28

先週に引き続き申し訳ありません。
マイナスな考えが止まりません。
具体的には、この先に対する不安などです。マイナスなことしか浮かばずに、一度始まると止まらないので苦しくなってきて、電車でも学校でも家でも泣きそうになります。
授業にも集中できなかったり、寝る前にも考えたりしてしまって眠れなかったり何度も起きたりしてしまいます。
生きてても、こんな私じゃどうしようもないと考え始めるといっそ消えてしまいたいと考えてしまいます。本当に苦しいです…


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

考えたってイイのですが、ただし

(^<^)考えたってイイのです。ただし自分を苦しめるネガティブな考えだけはやめましょうよ。そこは自分で自覚しないといけません。
あなたの好きな歌手がいるとします。
プロのミュージシャンは何をもってプロかと言えば、自分が出しているものを冷静に観る力があります。自分が今出している声色がどんな感じかを見る力。ビブラート、ハネ、カット、かすれ感、間(ま)、全部自分の持ちモノですから、今自分の出している声も、自分で聞いているのです。そして、自分が心地よい音を出すから、観客も心地よい。
会場のオーディエンスに聞かせがたい声、サウンドはNGですから、出しません。
私はシロートですから、辛口辛口で誰も見向きもしません。(笑)
あなたは自分のプロになるべきでしょう。
自分のプロになるのが仏教です、
自分が、自分の心の中で、どんな思いが出てきたか。
それだけ注意して自分をみていることです。
ヒントをここにあげておきます。
三つの火(ひ)と言います。
「否定、批判、悲観。」
これだけやらないように気を付ければ、ネガティブな思いは無くなります。
考えは出てきて当然のモノ。
ただし、
1自分を苦しめる自己否定につながる思い、
2自分や相手を攻撃する批判的な思い、
3自分をネガティブさせる悲観的な思いのガスが発生したら、
即座にそれをストップさせることです。
考えをストップさせるためには、考えではできません。
あなたは今、考えをストップさせる手段、アプリとして考えを使っています。
そのアプリを即、削除して、事実を生きるアプリをインストールしましょう。
見る、聴く、意識的に息をする、歩く、走る、感じる、食べる、動く、何かを行為する。
これが事実のアプリです。
事実のアプリとは、思いの世界から抜け出すのに必要なアプリです。
誰もが持っているのですが、重宝されていないだけです。ぜひ、活用してみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

大声で泣け。

紫苑さん、はじめまして。
前回のQ&A読ませていただきました。

きっと紫苑さんは、誰よりも正直で優しいんです。

優しいからこそ自分で抱えて悩んでしまう…。

でもね。
ためすぎると爆発してしまいますよ。
爆発すると、自分だけでなくまわりも傷つけてしまいます。
だから、早めに溜めたものを外に出さないと大変です。

あなたは今、自分だけと思っているかもしれませんが、これはまわりも同じなんです。
みんな、大なり小なり自分に不安を抱えながら生きているんです。

それを表に出すか出さないか、発散できるか出来ないか、それだけなんです。

本当は、楽しいことで発散できることが一番です。
でも時には、他人の前で泣くことも大声を出すことも必要ですよ。

信頼できるお友達にこのことを話しましたか?
ご両親に話しても、期待を含んだ言葉は、今のあなたには重荷かもしれませんね。

心の内にあることは声に出すことでかなり発散できます。
他人に打ち明けるだけでもかなりスッキリするはずです。
一人で泣くと溜まる一方ですが、涙を見せられる人がいるならその前で思いっきり泣きましょう。スポーツでも何でも、とにかくエネルギーを外に出しましょう。

パソコンのキーでは発散にはなりません。

声に出す、涙を流す、身体を動かす、悩みを内にためる。
実は、どれも同じエネルギーを使っているのです。

とにかく今は一人で悩まずに、誰か悩みを聞いてくれる相手を探すことです。
そして、思い切って悩みをぶちまけることです。

あなたが少しでもスッキリして、ほんの一瞬でも笑顔になることの方が先です。

少しでも笑顔が多くなれば、まわりの方が変わってきます。
そこでまた、一から積み重ねていけば良いのです。

マラソンを想像してみて下さい。

はじめてマラソンを走る人はみんな完走だけが目標です。
時間内に間に合おうが間に合うまいが、ゴールまで走りきったらそれで目標達成です。
自分のペースで、途中で転んでも、歩いても、とにかく進んでいればゴールに着きます。
42.195kmなんて長い距離を最初から走れる人なんて誰もいません。
タイムとか順位とかというのは、それを積み重ねた人が目指す目標です。
最初から順位を競って無理をしたら、途中棄権で完走すら出来ません。

失敗しない人は成功もしませんよ。

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