このままでいいのでしょうか?
あたしは長いこと精神科に通院しています。
学生時代からですので、今まで正社員として働いた経験がなく、フリーターとして職を転々としていました。
最近過去の質問にもありましたが、トラブル続きで、精神的にも肉体的にも疲れきっていて、新しい仕事に就いていません。
面接に行くなどはしましたが、うまくいかず、こちらから断っています。
最近では、婦人科系の病気にもかかってしまい、そちらだけの治療費でも大変です。
なので、働きたい気持ちもあるのですが、病院への定期的な受診や、健康面での不安な部分があり、なかなか働けません。
今は恋人に頼りながら生活をし、その決められた範囲内で年金や税金、治療費などすべてやり繰りをしているので、お小遣いはありません。
働いていないのだから、お小遣いがないことは当然ですし、不満もありませんが、自分の生活がギリギリなので、働きたいです。
でも、田舎なので職も少なく、その上、体調が優れない為、なかなか行動に移せません。
あたしはどうしたらよいのでしょうか?
精神科、産婦人科、どちらの治療もお金はかかりますが、はずせるものではありません。
今はきちんと治療に専念し、その後で働くほうがいいのでしょうか?
病気があるとはいえ、無職な自分が辛いです。
治療に専念していると、休んでばかりいるような、働くことから逃げているような気持ちになり、悲しいです。
自分自身とどう向き合えばいいのでしょうか?
ご回答お願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「あたし あたし」を最優先にしない
自分を中心とした生き方、自分を最優先にした生き方ですと、考え方そのものが「あたしにとっての善悪」ということを最優先に考えます。
それを離れるためにも、誰かの為になることを「自分の為、人の為」を捨てて行なうことです。
これをズダ行といいます。
「おーい、回覧板を隣の内までもっていってくれ」
A「はい」(*´▽`*)
B「えー」(゜o゜)
C「なんで、めんどくさい」(-。-)
損得を考えずに行えるようになるために、あえて何も考えずにやってみると良いでしょう。
物事の本質は人から頼まれたことにしても、やるのは自分。自分の絵で行い、自分のコトなのです。
この回答もあなたの質問に答えるためにやっている面もあるのですが、この事の本質は私がわたしのことをやっているだけです。
ただ、たんたんとやる。ただ淡々とやるのみ。
婦人科の病気もあなたが自分の意志で体を治せるわけではありません。
自分の体の治癒力によって治るのです。
精神科に関しては、用心をしてください。
何をもって病気とするのか、何をもって健全とするのか。
治っているのに、まだ治っていないと思う人は、治りません。
もともと何でもなかったのに、医師によって病気だと診断されて「自分は病気だ」と思いこむことで病気になるとしたら、それは病気ではないハズです。
自分の想念が自分を縛っているという事です。
このことを確認されたケレバ坐禅会にお越しください。
「ひょっとしたら私は病気じゃなくて、私は病気なんだという想い👻に憑りつかれていることで自分を縛っているだけのかもしれない」と。
もしそうだとすれば、自分の想念から自由になりさえすれば、長年の病気すらも、その場で完全に治癒します。そして、心のおさめ方を学ぶことで、むやみに自分の想念で苦しむことは無くなるのです。
あたし、あたしを優先しない頭脳になる。
あたし、アタシを優先しないと、アタシ意識が無くなる。
あたし意識が無くなると、あたしにとっての都合のヨイワルイが無くなるから、人生が快適スムーズ、サクサク起動するのです。
それが坐禅です。
自分を見つめて、自分の想念に影響されない心の修養として禅会にも足を運んでみてください。
質問者からのお礼
丹下覚元様
回答ありがとうございました。
参考にさせていただきます。