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人に嫌われるが怖い、という気持ちを克服したい

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有り難し有り難し 57

ずっと人には言えないでいた悩みがあります。
それは、人に嫌われるのが怖くていつもびくびくしてしまうことです。
私は普段、仕事柄社交的に振る舞っているつもりだし、明るいねといわれる事が多いです。でも内心は自分が人の目にどう映っているか、そればかり気にしてしまって、自分のキャラクターを自分で演じている…そんな気がしています。

それは子供の頃からずっとです。子供の頃、友達の輪になかなか入れないで一人でいたことが多かったこと、一人っ子で両親の顔色ばかり見ていたことが影響しているのかもしれません。

だから、人と一緒にいたいのに、なぜか一緒にいると疲れてしまって、結局一人でいることが多いです。

きっと今のままの私じゃ、ダメだなと漠然と思っているのですが、何をどう変えたらいいのか…最近とても考えるようになりました。

どうしたら、人の顔色を気にしないでいられるようになりますか??


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分が元々ない刃物で自らを傷つけているのです

人から嫌われたとします。
何かが減るでしょうか。
本当は何も減っていません。自分が自分で何かをすり減らしているかのような感覚を生じさせているのです。
ですが、本当は何も減っていない。
よくみてください。
減ったような感覚が生じると言っても減っていないのであればあなた自身なにも傷ついてもいないのです。
という事は今まで何におびえていたかというと、相手ではなく自分。
自分の中の心を動かして、あたかも何かが減るかのような錯覚によって傷ついていただけなのです。
人間というものは不思議なもので、本当に減りも増えもしないものに損ねられたり、減るような感覚、喪失するような感覚、傷つくような感覚を生じます。
それを見抜いて下さい。
分らなければ坐禅して自己の想念の本質を見極めればよいのです。
元々ありもしない刃物で自らを傷つけている。
本当によくみてください。どこかに傷はありますか?
ありません。
本当にない、と分るまで見極めることです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人生のお客様になっていませんか

あなた様は「人生のお客様」になっていませんか。誰かがどうこうしてくれる。誰かがこう考えている。誰かがどうこうしてくる。等々、いつも誰かを考えておりませんでしょうか。

人はその字が示すように、お互いに支え合って生きている社会動物です。それはギブアンドテイクでは無く、お互いが尊重し合った上の存在であるとうことです。

自分だけが特別ではなく、それぞれに、それぞれが特別なのです。

ご自身の人生は、誰かによってつくられていくものではなく、自分でつくっていくものです。人生のお客様で居続けると、恐らくは、何も得るものなく人生が過ぎ去っていくでしょう。

「人生のお客様」になるのではなく、「人生の主役」になりませんか。そして、この世の中のために仕える事、仕事をしてみませんか。

卓阿

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個別相談可能
相互礼拝 相互供養
対応できる時間帯は19時から22時です。資格は高野山真言宗阿闍梨(教師)、普通運転免許、防災管理者、英検準1級。

相性がありますから割り切ることも大切

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃるお気持ちは実はたくさんの方々がかかえていらっしゃるお悩みです。
やはり人は周りの人たちから受け入れられたいですから無理に合わせなければならないと思ってしまいますよね。
私もその様なところが今でもあります。
あなたのそのお気持ちお察し申し上げます。
あなたのおっしゃるとおりずっとそうしていると本当に疲れてしまいますね。
やはり自分の素直なままで気軽にお話できる間柄に方とのコミュニケーションをとることですね。そして少しずつでも周りの人たちとその様な関係作りをなさっていくことかと思います。あとは無理に合わせなくていいのではないでしょうか。
全ての方々と別け隔てなく関係を保つことは無理なことです。
ある程度割り切ることも大切なことです。
人には相性もありますし、その時〃のタイミングもありますからね。
逆に割り切ることで今までの人間関係もより親しい方々と深いコミュニケーションをとることに集中することができますね。
あなたて相性のあう方は男女問わず必ずいらっしゃいますし、あなたを素直に受け入れてくれる方々も必ずいらっしゃいます。
人と人とのご縁は様々な場所や場面にあるものです。そのご縁をこれから大切になさりながらおおらかにご自分の人生を歩んでくださいね。
あなたをこれから応援させて頂きますね。

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個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

人生のお客様、という言葉にどきっとしました。どこか自分の事なのに他人事できてしまったような気がしています。これから、自分の目の前で、起きた出来事ひとつひとつ、他人はどう思うかではなく自分の事として向き合ってみたいと思います。ありがとうございました!

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