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結婚32年で家出し4年、子らとの関係をどうすれば?

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私は結婚32年で嫁家を出て4年、家出時と今年、離婚調停し取り下げました。

母は兄姉と、夫との関係が冷めた頃に私を生みました。
23で義父母義祖母同居の自営業、一人っ子の夫に嫁ぎ、仕事・家事のなか2女を生み。
3人目の長男をお坊ちゃまにしたくなく、4人目を生みました。

40の時に母が死に、兄姉は泣きすがり、私への虐待は終わりました。
母のことを悪く言って母崇拝の兄姉は逆鱗し、絶縁状態です。

子供達が巣立ち、娘2人は結婚し他県です。
27で卵巣、離婚を言った36に子宮、52で大腸癌、53で肩を、55で腸ポリープ。
5度手術し、長年で何度も頻脈過呼吸に、55でギランバレーでした。

末子の大学卒業・就職で、すでに4年の義父母夫との生活から、冬も好天温暖の、また笑って過ごしたく、素晴らしい人生だったと思って終わりたいとの思いで大阪に来ました。
次男は、人間宣言したかったんかと言い。
しかしそれは大阪に住む長男の結婚の時期で、息子は式をしないと決意し。
奥さんや近所の義両親から実家との絶縁を言われ、息子は子が生まれても一切親姉弟とも連絡を絶っての4年です。

父ととっくに死んだ義祖母への悪口の母を見て育ち、夫義父母への思いは、長年一切子らには言いませんでした。
子らが来る盆正月も戻らずの3年。
今年の盆に戻り子らと会いましたが、夫との良好な関係と、私への深い溝の日々でした。
次男は、離婚調停の身が帰るのか、口も聞きたくないと言いました。
大阪就職の次男が東京転勤で結婚を決め、両家両親とでの会食をし、春には新婚生活です。

次男に、結婚式に母を呼ばなくて良いと言おうと思います。
私がいなくて、長男夫婦が来て姉弟たちの交流が再開されれば、それが一番嬉しいです。
義母の汚れ放題の台所を掃除して娘を迎えたいから、盆正月には帰ると手紙しましたが。
私の不在で子供らがくつろげやすらげるのなら、帰らないでおこうと思います。
一番の願いは、子や孫達の笑顔の日々、子らの良い関係が末永く続くことです。

現生での天命・学びは、自己犠牲と無私無欲の奉仕だと思います。
結婚と子育てを経験させていただけ、しかしより素晴らしい母に生まれていたら、子らはもっと楽しい人生だったろうと思います。
死後の大学献体手続きを思います。
お言葉をいただけましたら、ありがたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間ルールを生き過ぎている

人間のルールの巣窟は何処だと思いますか?どこで生まれると思いますか?
親です、兄弟です。家庭です。
それが幼稚園、学校、社会に出てお互いのルールのぶつかり合い。
そんな中であなたは様々な人間のルールが染みついてきてしまった。
それは大人の世界では一種の思想なのです。
仏教とは思想を離れること。
人間の決めた自分が幸せになれないような人間ルールだったのなら自身の中から排除してしまう。
人間には選択する自由がある。
あなたのは今日はただの人間。
たった今は名前もわすれていた、年齢もわすれていた、足腰もわすれていた、自分が何者でどんな肩書きかもわすれていた。
それでいいのです。
母であったり、妹であったり、妻であったり、そんなものは頭の中の思考での後付けです。
鳥が空を飛んでいる。
何の鳥かはわからない。分らないままに飛んでいる。
「只」 ただ
ということがあります。
人間ルールに染まる前。
誰かの為でもなく、自分の為でもなく、人の為でもなく、何かの為にでもない。
何の理由付けもなく、歩いてみてください。
買い物にいくでもいい、仕事にいくでもいい。
そこに向かっていくとき、自分の肩書きも、重荷も、責務も、年齢も、記憶も全部、わすれる一歩を歩んでください。歩んでいる時には、そういうものが何処にも無いと知ることです。
金庫の奥にしまってあるものは、それを開けて、そのものに触った時しか、それが触られることがありません。あなたは記憶やルールに縛られているのですが、記憶といったって、思い出していない時は思い出していませんから、記憶というものがどっかにあるように思っておられますが、そんなものは思い起こして金庫の奥底に眠っているものを取り出そうとしたときにしか、この身心の画面には生じてこないものなのだと見極めてください。ああ、あたしがアレを毎回ちょくちょく触って取り出そうとしちゃうから、それがかえってイヤな事を思い出すきっかけになっていけないのだ、と見極めることです。
真面目をもうちょっと捨ててくだチャい。
お子さんたちとは友達になることです。立場はもう卒業することです。
立場を捨てて関われるようになる為にも、今後も関係をもっと力を抜いて続けて行ってください。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ありがとうございます。
何度も何度も読み返しています。

子供の頃からどの教師からも、問題を深く考えすぎるから違うと答えを書いてしまうと言われてきました。

母が死んで、自分の背にも翼があったのだと初めて気づき。

そして今はもうすでに、自分の24時間を楽しんでいる生活でいるのに、やっぱりねばならないに縛られている自分に戻ってしまう。

子供たちは、もっともっと浅いところにいるのかもしれません。

なるようになるさ、という気持ちでいたほうが結果として良いのかもしれません。

素晴らしい人生だったと思って終われるための道を選んだのだから、笑顔でいられる日々を増やしていきたいです。

これからもずっと、読み返していきます。

ありがとうございます。

今日までやっぱりきれいな台所や家にして娘を迎えたいと、帰るつもりでいたのですが。
家を出てからの一切のコンタクトも拒否する娘の態度を思えば、私とは接触したくないのだろうと思い返し。
迷っていましたが、帰らないことにしました。
それは同時に、そんな程度の子育てしかしてこなかった自分だったのか、子供にとってはそんな程度の母だったのかと、絶望に堕ちる時分です。

子供の頃から自己嫌悪と孤独の塊で、そしてボランティアや仕事などでも、人間関係の構築のが今でも限りなく下手です。
自己犠牲と、そして孤独が天命であるのだと言い聞かせるのですが。
それでも子供に愛を求めてしまう自分。
誰からも愛はもらえないのだと、孤独感に堕ちる時が限りなく辛く。
幸せであったと思って終わりたいとの気持ちから、自殺だけはしてはいけないと思うのですが。
こんな気持ちをどうすれば良いでしょぅか。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ