仕事のできる男性は評価されるという考え方について
私は仕事一筋の父親の影響もあり、仕事ができることで人から
認められ、仕事が全うできない人は人として認められないと
言われて育ちましたがこの考え方は正しいのでしょうか?
後悔してばかり
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人生はあなたの仕事
マッピーさん、こんにちは。
どうやら、お父様の御言葉の「言葉」に引っかかっておられるご様子。
お父様の言われるストレートな意味は,おそらくマッピーさんにも「ほぼ」理解出来ておられることと思います。
でも、「仕事ができることで人から 認められる」「仕事が全うできない人は人として認められない」と、こうやって2つに分けてしまうと少々厳しく聞こえますね。
マッピーさんの疑問は、「じゃぁ,仕事の出来ない人はダメな人なのか?」というところではないかと思います。
確かに、「仕事」という「一つの物事」だけを捉え、敢えてそれだけに限定してしまえば、答えは「仕事が出来なくてもダメではない」となるでしょうし、「人として」というのは言い過ぎのような気もします。
ですが、想像するに,お父様の言われる「仕事」という言葉は、単なる職業で言う仕事という意味合いだけではないのではないでしょうか。
仕事という言葉からは色んな意味が想像出来ます。
職務、職業、勉強、宿題、与えられたこと,選んだこと・・・
また、その捉え方も、
命令された、義務だから、みんながやるから、自分で志した、自分の為に、誰かの為に、やりたい、仕方なく・・・
などなど、様々なシーンや捉え方があるはずです。
でも、よく考えてみて下さい。
誰かに言われたとしても、自分で志したにしても、やりたかろうが、やりたくなかろうが、最終的に「やる」と判断したのはだれでしょう。
そう、自分です。
どんなことでも、最終的に「YES」か「NO」かの判断を自分に迫られます。
どんな場面でも、自分の思う立場や世間体を考えなければ「NO」と言うことは出来るはずです。
しかし、それが既にやらなければならない状態で目の前にあるということは、自分で「やる」と返事をした後、つまり選択する場面で「YES」を自分で選択したということです。
お父様の言われる「仕事」という言葉を「YES」と置き換えてみて下さい。
自分が「YES」と言った事ができることで人から認められ、自分が「YES」と言った事が全うできない人は人として認められない。
こう考えると、理解しやすいのではないでしょうか?
私には、お父様はあなたに「自分で選んだことは全うしなさいよ」と言っているように聞こえます。
言い方は厳しいかも知れませんが、温かいお父様ですね。
家庭からも愛されなくちゃね
仕事のできる父であっても、子供であるあなたから愛される父であるかどうかも大事ですよね。
質問の中に答えがありますよ。
「評価されたきゃ」「認められたきゃ」それをやるといいぞ、とパピー(お父さん)は教えてくれているだけでしょう。
(^<^)
お父さんの居る会社では、きっとそれが大事なのでしょう。お父さんは、男として、評価をされることが大事なのでしょう。
お父さんは、いつものあなたを見ているから、今のあなたが元気を出す為には、これが良いのではないかと思って投げかけたのかもしれません。
「評価も大事。認められることも大事。それがあれば、真のある生き方を保てるぞ」
という父親なりの愛する子供への不器用ながらのアドバイスとして受け止めればよいのです。
親のいうことは、子供に対する、子供が本人に考えさせて良い方向に向かわしめるための、一言です。
そこで、傷つく受け止め方は要らんのです。
そこで、何を得るか。
父親+坊さんさからアドバイスをもらえたということだけでも、あなたを深く物事を考えさせてくれた、親から子供への十分なメッセージでしょう。
わたしどもにお礼は要らんから、あなたのお父さんにピールでも買って差し上げなさいナ。
自分が感じた違和感を大事にして歩んでいく
正しい、間違っているではなく
自分自身が頷けるか頷けないかだと思います。
マッピーさんが
ここに問いかけを出したということは
その考えに疑問がある、
それだけでは押さえ切れないものがあると
感じているからではないでしょうか。
その考えは自分を幸せにするのか
はたまた不幸にするのか
自分を閉じていくのか、開いていくのか
自分が感じた違和感を大事にして歩んでいく
それが人間を成就させていくことなのかと思います。
当たっているが善ではない
世間の人々から評価されるには、世間の人々のニーズに応えるような仕事を成し遂げるほうが確実でしょう。
そういう意味でお父様の言うことは当たっています。
ただ、仏教では、世間の人々の評価をあまり信用していないのです。
それどころか、世間の人々の価値観と仏教的な価値観では、真逆である場合もあるでしょう。
例えば戦時中なら、戦で敵をたくさん殺したほうが仕事ができる男なのです。しかし平和なときは違う。
社会の評価は、社会情勢などでコロコロ変わります。
一方、仏教ではどんなときも殺生は悪です。
さて、人から認められたいと思うのも煩悩です。煩悩とは、悩み苦しみの原因になるものです。
あなたのお父様はプライドの煩悩が強く、そのために仕事を頑張れた一面もあるでしょうが、他人からの評価や他人との優劣を気にして人一倍苦労してこられたのかもしれません。
あなたがお父様のようにプライドに生きるのであれば、仕事を頑張らないと辛い思いをするでしょう。
実際、他人の評価を気にしないようになるのはかなり精神修養が必要で難しく、仕事を頑張るほうが簡単かもしれませんね。