本当に好きなのか分からなくなってきた
私は現在、趣味で絵を描いてます。絵はいわゆる、漫画っぽいイラストの絵です。
イラストを描いてはネットに上げては、褒めてもらったり、と反応をもらうのが楽しんでました。
でも今はtwitterやpixivといったサイトで、評価が数字として見えてしまう環境になってしまっています。私より技術が足りていない絵でも私より何倍も多い評価をもらっている絵を見たら嫉妬してしまうし、自分が絵をあげても数字は決して高くなく、そんなもの気にしても無駄だとわかってはいてもどうしても気にしてしまいます。
同じ年齢ですでにプロになっている作家もいます。その人たちは恐らく、才能や、幼い頃から1日に何枚も描いたりと努力の結果でそこまで上り詰めたのだと思います。それに対して自分は大した努力もしてないのに、羨むばかりです。このままではダメだと出版社に持ち込みに行ったり、周りの評価が悔しくて絵を描いても、描くのがとても遅かったり、すぐに飽きてしまって中々作品が増えません。そのことにまたすぐに自己嫌悪してしまいます。
今は憧れの作家の絵を隣に置いて、参考にしながら描いてます。こんな構図なら、こんな見せ方なら良くなるのではないかと考えながら絵を描いていますが、ふと、「これは上手くなりたいんじゃなくて、他人に評価される絵を描いてるのではないか」と思ってしまい、その度に筆が止まってしまいます。
自分の絵はあざといのではないか、私は褒めてもらうためだけに絵を描いてるのではないか、と考えてしまい、本当に自分は絵を描くことが好きなのか分からなくなってしまいました。
将来は描くことを趣味で終わらせたくはなくて、絵を描く仕事に就きたいです。でも大して好きでもないかもしれない絵を描くのが怖くなってしまっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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評価は後から付いてくるもの。
評価を気にすると、目の前のことに目が向かなくなりますよね。すると絵を描いていながら、本当のいみで絵を描いていない状態になるのではないでしょうか。
心ここにあらずの絵になると思います。
親の顔色を見て育つ子は、素直そうに見えて裏表があります。真っ直ぐでないのです。そうならないためには、結果は後から付いてくるものとしつつ、好きなことなら努力を惜しまず楽しみながら学ぶことでしょう^_^
そうしたゆとりと、心からの楽しみは人にも伝わるようになるものだと思いますよ。
まずはがむしゃらにやってみよう
こんにちは。
絵を描くのが好きなのですね。いいなぁ。私は絵を描くのは苦手です。
仏教的に話をするとしたら、あなたらしく、何も求めずひたすらに、というお答えになるとは思いますが、私の知人に日本画家で絵本なども出しておられる方がおり、その方から以前おもしろい話を聞いた事があるのでここで紹介します。
その方が、大学で絵を学んでいた頃、どこかに出品する作品を描いていた時の事。指導の先生に「もっと、この絵から手が出てきて『賞をください』って感じの絵を描きなさい」と言われたそうです(笑)。その方はおっとりとした感じの方で、私そんな事できないと思いながら描いていたそうですが、やはりこれから商売として絵を描いていきたい、って思っているなら、その「売れたい」「賞を取りたい」気持ちをむき出しにして描かなくてはならない時もあるんだなぁって思いました。
ですから今は、どうやったら評価されるのか、どういう絵を描けばウケるのか、研究して、あざとくても、「絵から『評価下さい』って手が出るのが見えるくらいに」、がむしゃらに描いてみても良いとおもいますよ。そういう時期があっても良いのかもしれません。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
あざとく描くのも悪いことではないんだな、と初めて気がつきました。
もっと私以外の人が私の絵を見て思わず足を止めてしまうような絵を描きたいと思います。
ハングリー精神を上手く絵に昇華できたら幸せです。
評価は自分じゃなくて、他人が判断するものだということも改めて考えました。今はとりあえずがむしゃらに描き続けてみます。
ありがとうございます