曖昧のいいところ
生きていると、先の見えない不安や心配に心がざわざわと落ち着かないときがあるとおもうのですが、なかなかすべてをハッキリすること、させることは難しい物事や出来事があります。
そんな時は、ハッキリしないまま曖昧なままでいるしかないか…と胸にしまうのですが、少し心地がよくないと言いますか抱えにくいと言いますか…。
そこで皆様に質問です。
曖昧の良さとは何だとお考えですか?
また、曖昧な状況の時は皆様はどのようにとらえ、その時を過ごしますか?
ぜひ、お考えをお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人事を尽くして天命を待つ
拝読させて頂きました。
はなさんが、どんな出来事に対して曖昧だと思ってらっしゃるのか分かりませんが、何気に結構曖昧な事ってこの世の中多いんじゃないでしょうかね。私は実は、白黒はっきりさせたい方です。やるのかやらないのか、良いのか悪いのか、やるなら早くちゃんとやろうよ、というようなせっかち坊主です(^^;)
確かに私も、曖昧だと心持ちが良くないです。
でもそもそも、この世は“諸行無常”です。絶えずすべての物事は移り変わっていきます。なので、もしかしたら人の考えも、黒だと思ってたものがやがて白に変わるかもしれませんし、曖昧なものも白黒はっきりするかもしれません。曖昧な先の状態がどうなるのかは前もっては分かりません。なので縁に従うしかないなと私は思って過ごしています。自分の出来る限り事は尽くすようにして、あとは、縁にお任せです。最善を尽くすように努力はしますが、それでも一時的に曖昧なものは曖昧です。
はっきり言える事は、常に物事は移り変わっていくものだ、という事です。
“人事を尽くして天命を待つ”
これが、曖昧さが多い世の中で、一つの状態に固執し過ぎず、縁の中を生きる生き方、の一つかなと思っております。
大概は曖昧
こんにちは。ちょっと不思議な感じの問いですね。
さて、私は「はっきりしている」ことって少ないのではないかと思います。「明日、生きているか?」…こういうレベルの話でしょうか?「20年後、充分に老後資金があるだろうか」とか?
「息子は高校へ行けるだろうか?」…テストの件もあるし、受かってもイジメとかあるかも…。ついて行けるかな…。
どうも「曖昧」という言葉とはニュアンスが違いますね。
うーん、具体的な事例としてあげてくださると、具体的な返答もあろうかとは思うのですが。
ともあれ、「曖昧(な態度でいること)」の良さですね。
状況次第で対応を決めていく柔軟さと余裕がある
周りの「曖昧でいられない人」が思いを遂げられる
やらなきゃいけないことへ目を向けられる。優先順位(枠外、という感じですが)でもありますね。
ただ、最初にも申しましたが、「何もかもハッキリしていた方がいい」という価値観は、疲れの元ではなかろうかと心配します。
質問者からのお礼
早々のご回答、ありがとうございました。漠然とした質問になってしまい、申し訳ありません。2016年は、私にとって試練かな?と思うような出来事が続き、それらにたいしての心構え、抱えかたを模索しておりました。今回の質問の前に、主人の事でも質問させていただきましたが、夫婦にとっても、個人としても色々ありまして。曖昧が苦手な私にとっては、なかなかしんどい一年でした。
お二人のご住職さまのお考えを読みながら、頷いている自分がいました。いかに、自分が柔軟でいられるか…ですね。物事の移り変わりに決めつけることなくハッキリさせようと拘らず…。私の中の支えになりそうです。ありがとうございました。