この問答を娑婆にも伝える
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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またフック来た。
信心
どうしたのでしょう?もう少し語ってはくれませんか?
ぴょんこさんが信じる信じないにかかわらず、事実は事実としてあります。それを法といい、真理といいます。
一般的に言う「信」とは、結局のところ私の「思い」です。
思いが事実に添うとは限りません。むしろ離れる事のほうが多いのでしょう。だから人間はやっかいです。
私の思い出はななく、事実を事実としてそのままただ聞く、それが「私の信」ではなく「賜る信」です。
仏様に私が信じられているのです。それを素直に受け取れるか、私の思いではねのけていくか…
私は誰かの願いを受け取って歩むということが力強いことだなあ、有難いことなあと感じます。
何も信じない歩みは心細いでしょう。誰かが私を信じてくれているのなら力がわいてくるでしょう。
ぴょんこさんの「不信」をも包む大きな「信」がはたらいていることに目覚めましょう。
みんな心配していますよ。
追記
プロフィールの件拝読しました。色々とあったのですね。でも今生きている、生かされている。思い通りにならないいのちを生かされているのです。
また何か思いがありましたら徹底的に吐き出してください。そしてこちらの話も聞いてください。自分の思いで今度は大丈夫だと思ったら、いやまた違ったの繰り返しなのでしょう。
丹下師がおっしゃられたことをよくよく読んでみましょう。自分の思いを捨てて、素直に耳をかたむけてみましょう。
もちろん、我々もぴょんこさんのお話を聞きますよ。
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有り難し
質問者からのお礼
プロフィールと煩悩のところに書きました
吉武 文法 様
有り難うございました
佐藤 良文 様
有り難うございました