ついで参りにあたるからダメ?
義両親のお墓が、福島県内の義父の実家の近くのお寺にありますが、主人は勤務先が人手が足りない為なかなか休みが取れず、私も病気により1人での遠出が出来なくなり、お墓参りに行けず、お寺の近くに住んでいる親戚にお願いしている状態です。
同じお寺の墓所に義両親のお墓と、親戚の家のお墓がいくつかあります。
3月にお寺の近くに住んでる親戚の家で1周忌があるので、東京と神奈川の高齢で身体障碍のある親戚2人と一緒に電車で行く予定になっています。
お墓参りに行けない事が気になっているので内心、やっと親戚と自分の所の墓参りが出来ると思っていました。
しかし、神奈川の伯母から電話があり
「法事で行くんだから、自分の家の墓参りはしちゃいけないよ?
アンタの所、全然墓参りしてないんでしょ?親の墓なんだから墓参りは行かないといけないよ。
どんな事情も行かない理由にしかならないんだよ。
3月はお彼岸あるんだからお彼岸に○○(主人の事)が行けないならアンタが1人で改めて行きなさいよ?
何故かは知らないけど、墓参りするなら法事の日はダメだっていうのが決まりだし常識だからね」
と言われました。
東京の叔父に聞いたところ
「ついで参りになるからいけないって事なんだろうけど、事情があって今はそういう時しか行けないんだし、墓参りしたいって気持ちが大事なんじゃないか?
ついでは失礼になるからって、それで仏様が怒らないと思うぞ?だから墓参りしていいと思うぞ?
そもそも姉ちゃん(伯母の事)は10台で神奈川に出て働いてたせいで仏事の事一切わからないってこの前言ってたぞ?
自分の旦那の葬儀だって何していいかわからなくて全部お前が調べて手配して葬儀やら法事やらやったじゃないか」
と言っていました。
年末年始はどこも忙しいと思われるので、お寺や福島の親戚にはまだ聞いていません。
インターネットで調べてみましたが、意見は分かれていてわかりませんでした。
伯母の言う様に法事でお寺に行った等の際にお墓参りをするのはついで参りになるからいけないのでしょうか?
叔父の言う様に墓参りしたいという気持ちが大事で、他の用事で行った時でも墓参りをしてもいいのでしょうか?
宗派によるのか、個人の見解によるのか、ついで参りはいけないと決まり事があるのか等知りたく質問させて頂きました。
どうぞ宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はしごすればした分だけ功徳があると私は思います
ついで参りって何なのでしょうね?私は曹洞宗のお寺で生まれ育ちましたが、数年前まで聞いたことがありませんでした。よそのQ&Aで初めて知った次元です。どこが出所なのか不思議でなりません。
考えてみてください。四国八十八箇所霊場をお参りしたとします。そのうち1ヶ寺だけが本命で後は『ついで』ということになるでしょうか?京都や奈良に行って、名だたる古刹をお参りして、そのうち1ヶ寺が本命で後は『ついで』になるでしょうか?なるわけがない。人の心ってそんなモンじゃありません。それがついでになってしまうほど惰性でやっている人の基準の方がよほど失礼です。
仏教的に言えば、動機はなんであれ『1つでも多く、1分でも多く仏道に触れる』方が有り難いものです。逆です。
昔の人は子供の頃には毎日お寺や神社の庭で遊び、年老いてはお寺にいりびたってマッタリしていた人がたくさんいたものです。その感覚が分からない人が増えたのはバブル世代からです。どうもその頃からよく分からない変なルールが増えているように私は見ています。
お寺の戦略としてもお寺やお墓により多く足を運んでいただき、信心あるいは親近感、そして帰属意識や理解を育んでもらった方が合理的です。つまり、ついで参りというお寺やお墓に行きづらくなるルールを、お寺の側から発信するのはナンセンスなのです。では人々をお寺から遠ざけて誰が得をするか?新興宗教です。
日本には檀家制度があります。檀家制度というのはキリシタン弾圧のために江戸幕府が開発したものだけあり、信教の囲い込みに絶大な効果がありました。明治維新以降に開幕し、オウム真理教のあたりで全盛期を迎えた新興宗教にとって最大の課題は、檀家制度にいかに穴を開けるかという一点に尽きました。伝統仏教への信心と帰属意識、理解を破壊すればするほど、新興宗教が自分の教えを広める余地が生まれたわけです。あくまで憶測に過ぎませんが、その辺が真相じゃないかと思ってしまうくらい、私にはついで参りの意味が分かりません。
しかしひょっとしたら10へぇな理由があり、どこかの地方ルールに起因しているかもしれない…そういった不安は常に拭えません。そのくらい超宗派・超地域のお坊さんの交流は今まで存在しませんでした。このhasunohaはその意味でも非常に画期的です。このようなご質問が増え、より純度の高い情報交換が捗れば幸甚です。
お喜びなさいますからね
拝読させて頂きました。ついで参りは良くないと言われること確かにありますよね。
仏様やご先祖様が本当にその様なことをおっしゃるでしょうか?逆に例えついでであっても近くにきたから寄ってくれたことをお喜びなさると私は思いますよね。
生きていようが亡くなっていようが本当に親しい方々がどんな理由にせよ立ち寄ってくれて挨拶なさってくれるならば嬉しいと思いますもんね。
様々言われてもぜひお参りなさってくださいね。きっとご先祖様はお喜びなさいますからね。
きっとご先祖様はお喜びなさりこれからもお見守りなさってくださいますね。
何を前提に「ダメ」だと思うのか。
浄土真宗のお話をします。
お墓参りは、自身のご先祖のお遺骨が安置してある場所へ行き、故人を忍び、故人を後世に伝えていく場所です。
『お墓参りに行けていない』ということで、いわゆるバチが当たるということはありません。
いつでもお参りなさったらいいと思います。
あそらく『ついでに参ってはいけない』というのは、『ご先祖さまを大切に伝えていこうね』という方便であると思います。
そういう心持ちは大切になさってください。
質問者からのお礼
回答くださった僧侶の皆様、本当に有難う御座います。
補足になります。
投稿してから3時間後くらいから現在に至るまでちょくちょく伯母から連絡があり、同じ会話をしております。
お互いの意見をまとめますと
ー伯母の意見ー
・何かのついでにお参りすると仏様に失礼。罰があたる。だからダメだと決まっているって昔から色んな人が言っている
・お寺さんからはそういう話は聞いていないが、そういう決まりなのだから聞く必要がない
・アンタは仏様の事詳しくないから知らないだけで、アンタより自分の方が宗教とか仏様について詳しい
・アンタが間違ってる、自分の言っている事は正しいんだから言う事を聞いていれば間違いないんだから黙って言う事を聞けばいい
ー私の意見ー
・専門外の人達の意見のみで専門家の意見は聞いていない。それは個人の主観になってしまい、それをやれというのは主観の押しつけになるのではないか
・主観の押しつけは仏教ではやってはいけない事と言われている
・ついで参りで罰があたるというのは仏様が怒るという事になってしまうが、仏様はそんな心の狭い存在ではない
・お墓参りは回数を多く行けばいいわけではなく、手を合わせる時の心が大事なのではないか
・自分は日蓮宗の人間だと言っていたが、当時は檀家ではなく、御本尊がなく、仏壇に置いてある位牌に手を合わせ日蓮宗のお経をあげている状態を、日蓮宗はこういうものと言い張っていたが、葬儀の際に来て頂いた住職に私が相談をした結果、檀家にならなくていいけど、日蓮宗だと言うならご本尊は安置しましょうねと言われ、ご住職のご厚意で安置して頂いたのは、伯母の知識が間違っていたからではないか
・自分は日蓮宗であり、宗教や仏様に詳しい、だから自分の言う事は正しいと言うが、何故日蓮宗にご本尊がある事等、基本的な事を知らなかったのか
・伯父が亡くなり葬儀や法事の際、喪主(施主)がやるべき事を伯母は何をどうしたらいいか知らなかったのは何故か
・「わかったそうする」と言うのは簡単だが、仏事や宗教、信仰に関する事で納得が出来ず、間違っているかもしれない事に対しそうするとは言えない
等、自分が持っている知識で多分間違っていないと思われる意見を伯母に言ってはみましたが、こちらの言う事は一切信じない人なのでお手上げです(∩´∀`)∩
伯母の言う事を無視した場合、その場で言わず後々何年もグチグチ言ってくる人なので、次に会った時に、ここの回答を読ませ、時期を見てこの件をお寺さんや親戚に相談して説教して貰います。