部長として
私は部活の部長を勤めています。
ですが、本来人を引っ張ることも、決断することも苦手です。もちろん、自分がやると決めたことなので、最後までやりとおしたいです。
しかし、文句や注文をつけてくる同期が多く、その度に怒り、自分のふがいなさで悲しくなります。それでも部長として、笑顔で何とか「意見ありがとう」と対応をするようにしていますが、もう疲れました。友達には、なんか一人で頑張っている感じだよね、と言われます。さんざん協力してほしい、よろしくね、と伝えていたにも関わらず、私の力不足なのでしょうか。
誰にだって認めてもらえるとは思っていません。でもリーダーとして、引退するときに笑顔で終わりたい。どうやったら伝わるのでしょう。私はどうこの役職をまっとうすればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
伝わらなくてはいけないのでしょうか?
玲太さん、ご質問ありがとうございました。
自分は一生懸命リーダーとして頑張っているのに、
それが周囲には伝わらない。
辛いところですね。
どうやったら伝わるのでしょう。私はどうこの役職をまっとうすればいいのでしょうか。
とあなたは書きましたね。
あなたの思いは、きっとあふれるほどあなたの胸に満ちあふれているのでしょう。
しかし、それはあなたの思いであって、周囲の人の思いとはちょっと違っているのかもしれません。
他の人に伝わる思いは、自分が言ったことの30パーセントにも満たないのだそうです。
ある意味、伝わらないのがあたり前。
その中で、伝わったことを見てみませんか?
何が伝わったのか、どうして伝わったのか。
伝わらなかったら、
何が伝わらなかったのか、どうして伝わらなかったのか。
人は、自分の思いにどうしても縛られてしまいます。
ちょっとだけ、自分の思いを横においてみてみてください。
部長とは貢献的立場にあることを理解しましょう。
あなたはよく頑張っておられるなと、私は感じました。
他者には他者の思惑があり、自分の価値観に照らし合わせてみて、食い違っていたとすればストレスを感じます。
そうなれば、当然責任者であるあなたに矛先が向きますよね。
私も、草野球の主将をしておりましたが、リーダーは孤独です。
私が言いたいのは、意見や注文をつけられて当たり前ということです。
なので、今起こっている現象は、悲しいけど想定内ということです。
頭の中では、認められようと思って行動しているとは考えてられてないでしょうが、リーダーとして、引退するときに笑顔で終わりたい。
と考えてられますよね。
すなわち、あなたは部員のみんなから、認められようと努力をされている一面もあるということです。
この想いを、別の言葉で言いかると、承認欲求と言います。
今、あなたはその承認欲求が満たしきれていない状況なのでしょう。
難しい表現になりますが・・・。
承認欲求を満たすためには、チームがひとつの共同体であり、みんなのことを仲間だと感じられるようになることです。
その反面、他者には個人の意見があり、決して自分の思い通りにならないことを理解することです。
この役職をまっとうするには、部員から意見を述べられても、貢献的立場にあるんだという自覚を持って、関わってくだい。
ご自身を受け容れ、決めて行動してください。
それが、あなたに出来る使命なんですよ。
笑顔で引退を目標とするのではなく「貢献の在り方」を目標とするのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
自分の気持ちばかり考えず、少し視野を広げてみようと思います。気持ちが多少楽になりました。本当にありがとうございます。