キツイ練習に耐えられない回答受付中
大学1年で運動系の部活に入りました。当初より多忙で何より練習がキツイ。猛暑の屋外でかなりハードな練習です。辞めよう!と決心するのですが同期と先輩がとてもいい人で気が合い、尚且つ私は大学のクラスや学科に友達か本当にいないので、この居場所が手放しがたいです。でもキツイ練習のことを考えると練習無い日でさえ憂鬱です。とりあえず夏の間だけ乗り越えられればいいのですが、どうやって乗り越えたらいいのでしょう。辞めて別の道を探すというのも全然ありです。その場合人間関係の未練とはどう折り合いをつけるべきでしょうか。辞めたら心地いい人間関係を失い、辞めなければ夏の間の練習地獄、どっちをとっても嫌だなというときの決断の仕方も私には分かりません。
後悔しがち。嫉妬しがち。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「二苦のはざま」にあるように見えます。
あなたの状況は、仏教でいう「生苦・老苦・病苦・死苦」に加え、「愛別離苦(愛するものと別れねばならぬ苦)」と「怨憎会苦(苦手なものと共にいる苦)」の間で揺れる状態です。
今の部活は、人間関係という宝を与えてくれる一方、練習は心身に負担をかけます。どちらを選んでも「何かを失う」ように感じるのは自然なこと。人は失う可能性のあるものに執着し、「手放せない苦しみ」が生まれます。
考える順番を整理しましょう。
1.体と心の安全を最優先に
猛暑下の練習は熱中症や体調不良のリスク大。仏教でも身体は「精進の器」とされ、心を磨くために守るべきものです。体調管理を理由に練習量や強度を調整できるか、顧問や先輩に相談を。
2.人間関係は部活外でも育てられる
「部活に残る=関係が続く」ではなく、「縁を大切にする=関係が続く」です。縁起の考えでは、関係は形を変えても続きます。辞めても食事やイベントでつながれます。
3.決断の基準は“3年後の自分”
体を壊してでも残る価値があるのか、別の居場所で心身を守るのか。未来の自分に感謝される選択を。
4.夏だけ乗り切る方法
水分・塩分補給、暑さ対策、そして「この夏は修行期間」と期限を区切ることで絶望感を減らせます。
5.決めたら迷わない儀式を
仏教の「懺悔」「発願」のように心を切り替える儀式を。辞めるなら感謝を伝えて離れる、続けるなら期日を決めて走り抜ける。
結論として、「この夏だけ耐える」も「辞めて縁をつなぐ」も正解です。仏教は「どちらを選んでも苦はある」と説きますが、その苦を自覚し受け入れて行動すれば、迷いも後悔も減ります。
大切なのは苦しみを避けるより、苦しみの中で自分を見失わないこと。それが未来と人間関係を確かなものにします。
合掌
本来なら出会わなかった人達
人間関係目当てでは、他の部員とのモチベーションにギャップがあるので、練習の苦しみに耐えられないでしょう。
本来は入るべき部活ではなかったと考えれば、今の仲間達も元々は出会うはずのなかった人達と考えることもできます。
例えば、他の部員が勝利を目指して練習している中で、あなただけが人間関係目当てで嫌々練習しているのだとしたら、いずれほころびがで出て退部に向かうかもしれません。
嫌々練習している人が部活で活躍できる可能性は低いのでは?
また、嫌々練習している(部会自体への熱意がない)ことが他の部員にもバレたら、あなたが他の部員から歓迎されなくなる恐れもあります。
だったら早めに退部して違う道に乗り換えた方が、あなたにとっても部にとっても被害は最小限と言えます。
1年生の今ならまだ他のサークル等に入れるのではないでしょうか。
「人生に良いとこ取りはない」
と思って、メリットとデメリットを比較して考えましょう。