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時代は変わってしまった・・・

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有り難し有り難し 15

私は40代半ばです。
仕事に対して仕事は助け合い精神が大事だと言って来ましたが・・・
その考えは今の時代に合わないのでしょうか?
私はいつ何処でどんな形で助けられるか分からないから助け合い精神と思い色んな物を犠牲にして働いて来た職場を年末で辞めました。今月の半ば位に違う職場で働く事が決まってますが私の助け合い精神は辞めるべきなのでしょうか?私ももう若くは有りません。その為新たに働く職場を長く勤めたいと考えてます。どうかアドバイスお願いします。
宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人の本質は変わっていません

助け合いでいいのです。
ただし、相手が望んでいる助けのカタチが変わっているだけなのです。
意志がいきなり薬を与えない様に、相手が望んでいる助けはこちらが思っている助けではありません。
私もここでの回答はあなたの望む回答は出せません。
それは、ここでのやり取りもそうですが、本当の診察になっていないからです。
人間は一問一答では相手の真意は分かりません。
あなたが本当に痒い所をこの文字では言い尽くせない様に、職場の方々も決めてかかってはいけません。
あなたが、その方々と本当に問答をしていないだけなのです。
人は相手にプレゼントを贈るにしても本当に相手が望んでいるプレゼントを贈らないとそこに価値が生まれません。
もちろん、それよりももっと素晴らしい贈り物であるにしても、相手にその価値が分からなければ伝わりません。
あなたのその精神は相手が受け取れる形でないと受け取ってもらえません。
世間の男女が家族に愛を贈っても滑っています。
私なんか何を贈っても滑りっぱなしです。
ですが、人間は欲すること、必要とされたいこと、望む、願う、という本質は変わっていないのです。
その人たちが何をもって心を埋めたいのか、お互い診察を大事に接していきましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お返事有り難うございます。
確かにそうですね。
改めて学ばせて頂きました。
今後はキャパを広げて行こうと思います。

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