勉強
勉強することが楽しいです。夢中になりすぎて気持ち悪くなって吐きました。そしてまた落ち着いたら勉強してます。吐かないようにしたいです。何でも自分の納得いくまで突き詰めたくなります。吐かないようにしたいです。
ぼうさんも夢中になることありますか?吐いたらおかしいよね?吐かないようにしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
夢中になることあるよ。
ま。さん、こんにちは。
埼玉県で僧侶をやっている千田明寛と申します。
どうぞ、よろしくお願いします。
勉強することが好きとのこと。素晴らしいですね!
お坊さんも夢中になることがあるのかどうかですが
私の場合、その答えは「YES」です。僧侶も人間ですからね。
短い人生の中で横目もふらずに夢中になれることがあるって幸せなことだと思います。
実は私もま。さんと同じような体験をしたことがあります。
十年ほど前になりますが大学受験の時のことです。
当時は浪人生でしたので、もう後がないと思い志望校の合格へ向けて必死に勉強しました。
そして何より勉強が楽しかったです。予備校の授業が楽しくて仕方がなかったです。
朝7時30には予備校に行って、家に帰るのは夜の10時30とかだったかな?
そんな生活を受験が終わるまでの一年間続けました。その間の息抜きや休みは一日もありません。
でも、浪人して三ヶ月程経った時から、髪が尋常じゃないくらい抜けるようになりました。
抜けるだけではなく、頭皮全体が猛烈にヒリヒリするような痛みに襲われました。
机に座るとその痛みが出てきて、どうしたもんかなと悩みました。
自分でも知らぬ間に身体が壊れる程にストレスを溜め込んでいたのですね。
今のま。さんと似たような状況と言えるのではないでしょうか。
無事に志望校に入った時には私の髪は同年代の人に比べて相当薄くなってました。。受験合格の代償です。。
あ、でも私の救いは僧侶なのでハゲてても困らないということです!(えっへん
さて、前置きが長くなりましたが私達のように身体を壊すまで没頭するのは
当然良いことではありません。時には息抜きも必要です。
お釈迦様が説いた仏教の教えに「中道」という教えがあります。
何事もやりすぎてはならない、という意味です。
お釈迦様自身、悟りの境地に達したいがために断食をし
死の寸前になるまで厳しい修行を続けられました。度合いが違いますが我々と同じ部類ですね。
でも、それでは悟れなかったんです。そこでその苦行をやめた途端に悟ることが出来ました。
やりすぎてもダメ、やらなすぎてもダメ。何事も程々に。
夢中になることは悪いことではありません。それは寧ろ美徳だと私は思います。
でも少しだけご自分を労わる気持ちも忘れないであげてくださいね。
大丈夫。まだ先がある
いや、いいですね。自分で時間を好きに使っている感じがする。
「吐いたらおかしい」?いや、「吐きそうなのに我慢して口に中に溜めている」方がおかしいでしょ?先日の「温泉が恥ずかしい」にも通じるけれど、身体の方が「これ排出〜」って訴えているんだから、トイレと同じよ。
たしか、伝説的に「お経の勉強をしていた時、一生懸命になって、気づいたら宙に浮いていた」っていう話もあったような気がするから、まだまだ大丈夫。
でも、「勉強じたいがが苦しくなってくる」こともあるから、それは暫く休んで落ち着いてから再開してね。
浄土宗でも「お念仏していて、眠くなったらどうしましょう?」「うん、少し休んで元気になったら又やんなさい」という問答が残っています。ま、お祖師さんの前でゴロンと横になる訳にもいかないだろうけれど。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
安心して吐いて勉強します。変じゃなくて良かったです。
お返事ありがとうございます。
ありがとうございます。
安心して吐いて勉強します。変じゃなくて良かったです。
お返事ありがとうございます。