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妊娠を後悔してしまいました。

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有り難し有り難し 32

いい歳して、とお叱りや批判をされるかもしれませんが、
どうか相談をよろしくお願いいたします。

私(34歳)は付き合って5カ月の彼(48歳)がおり、この度、本当に呆れられて当然なのですが、自分の軽はずみな判断で妊娠してしまいました。

彼とは結婚するつもりなので、宿った命を悲しいことにするつもりは毛頭ありませんが、
自分が悪いのにもかかわらず、
もっと旅行したり、もっと彼と二人でやりたいこともあったし、二人の時間を過ごしたかったなとすごく落ち込んでしまいました。
本当に全部、あの日あの時の自分の判断が招いた結果で因果応報なのですが、ネガティヴな後悔がつきまといます。

本当は、すぐにアフターピルを考えましたが、それも自分勝手な悲しい行為の気がしてしないまま、
今、こんな後悔がつきまとうならやはり処方してもらえばよかったのかと、
さらに後悔しています。

彼は、喜んでくれています。
私も、彼との子供なら愛おしいと思えます。
ただ、彼が大好きなため、貴重な二人の時間や記録がもうなくなってしまうことが辛くてたまりません。
ずっと後悔しそうです。
これが現実なので、腹をくくるしかありませんが、
慰めなどではなく、率直に私は自らを不幸にしてしまったと思いますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

勝手なのは行動ではなく、その事業仕分け思考。

あなたを不幸にしているのはいつもその考え方の方でしょう。
行動の方に不幸や幸福などありません。
自分のした純粋無垢な活動、行動に対して、あなたが不幸思考、不幸判断、不幸分別、不幸事業仕分けをしているだけです。
自分の都合のいいようにいった、ということを幸福だとカン違いされていませんか。
人間遊んでいようが子育てしていようが家にいようが旅行していようが生きているっていう事実には変わりありません。
そこには善し悪しというものはないのです。
あなたは、その生きている事実を無視して、自分が楽しいことやってたり、好ましいこと、好きなことだけやっている時以外は格下、つまらんもの、ぞんざいに扱っている。
その思考、そのDISりなももの取り扱いが自分を苦しめている差別的な思考なのです。
その矛先が、相手や自分や子供に向かっている。
その矛を持っているのは誰か。
その手荷物ものを鉾ではないものにすると良いでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

不幸?

拝読させて頂きました。
慰めなどではなく、率直に私は自らを不幸にしてしまったと思いますか?という事を元にお話しさせて頂きますが、
率直に、不幸にしてしまったとは思いませんね。
あおばさんは、「不幸」に思いますか?
彼は喜んで下さってるわけですよね、そしてあおばさんも彼との子供なら愛おしいと思える。
そのような状態で宿った命を、不幸の原因にするのはどうなんでしょうかね。
2人の時間がもっと欲しい、その気持ちは理解出来ますよ。私も3人子供がおりますがほとんど時間が子供に取られてしまいます。確かに大変です。
しかし、不幸という考えにはなりません。
子供と共に過ごす夫婦の時間も、付き合っていた時とはまた違う喜怒哀楽があります。大変な部分もあるんですが、親も子供がいる事によって色々学ばされ成長させられます。子供が居なければ経験出来ないかけがえのない時間ですよ。決して不幸な時間では有りません。
子供は授かりものです。思い通りに妊娠を操れるわけでもないと思います。
私があおばさんの立場ならどう考えるかなと察しますと、今子供を授かる事になったという事は、2人の時間も確かに大切ですが、
2人きりの時間より、子供を含めた3人の時間を経験すべき、という導きなのかな、と捉えます。
次なるステージへ進みましょう。まだ10ヶ月は彼と2人で過ごせる時間はあります。その間に思い出を作り愛を深めながら、親になる体制を整えて頂きたいです。彼とよく話し合いながら、どのようにこれから過ごしていくか、前向きに考えて頂ければと思います。

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有り難し
おきもち

岩手県内陸郊外の曹洞宗鷲連寺にて副住職を務めております。 世の中にはいろんな方が様々な悩みを抱えながら必死に生きています。その苦悩に共に向き合い、共に考えて、共有出来たらと思います。 最高に分かりやすい仏教伝道を目指して日々精進しております。 盛岡市内にてマインドフルネスセミナーを開催しております。詳しい内容、日程等はHPをご覧下さい kakurai-imakoko.jimdo.com

質問者からのお礼

丹下覚元様
お返事ありがとうございます。
確かに不幸に仕分けをしているとおもいます。しかし、正直、防ぐことができたはずの今味わっている後悔を、まんまとしていることに、
本当に後悔と悔しさしかなく、怖いです。

文世様
お返事ありがとうございます。
後悔と恐ろしさしかありません。
あの時、なぜあんな判断をしてしまったのか、取り返しがつきません。
怖いです。
時間は取り返せないし、予定を狂わせてしまった。
だんだん、中絶の文字が浮かぶようになってきました。

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