慈悲の心
最近、「慈悲」とか「慈愛」というものについて考えます。
自分に慈悲の心を向けたいと思っています。
英語で「セルフコンパッション」と言うそうです。
何かアドバイス等ございましたら教えて下さい。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分以外にも慈悲を働かせること
はじめまして、質問拝読致しました。
セルフコンパッション…
はじめて聞きました。
「セルフ・コンパッションとは、自分の愛する人を思いやるように、自分自身を思いやること」
と調べましたらありました。
自分を大切にする方法だということですね。良いと思いますよ!どんどんされてはいかがでしょうか?
ただアドバイスとしましては、仏教では自分以外にも慈悲の心を働かせます。
全ての生命は知らず知らずに共存共栄で生きています。自分一人では、生きていけないですし、全ての生物が絶妙なバランスで共存共栄しています。
ですので
私も、あなたも、全ての生命、自分の嫌いな人、自分を嫌いな人にまで慈悲を働かせます。全ての生命に慈悲を働かせます。
慈悲の瞑想という、心の中で唱えるだけの実践方法があります。
やり方は
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html
にありますので、見ていただければと思います。基本、心の中で唱えるだけですので、容易に出来ると思います。
まず「セルフコンパッション」をされて、やれるようでしたら「慈悲の瞑想」も試されてはいかがでしょうか?
合掌
愛と慈悲の違い
momoco様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「慈悲」と「慈愛」・・
よく「愛」と「慈悲」の違いについて聞かれることがありますが、「愛」という字は、受けるの真ん中に心がありますように、お互いが心を受けとめ合う、つまりお互い同士、対等の心の疎通が求められるものになると解しています。
一方で、仏教の「慈悲」というものは、安藤亮英様もおっしゃられておられますように、対象に関係なく、つまり、好きな者、嫌いな者、あるいは、虫、動物なども含めて、迷い苦しみある全ての者たち(一切衆生)へと平等に向けられる憐れみと慈しみの心であるかと存じます。
「セルフコンパッション」から、更に次なる向上として、自分を大切にするが如くに、差別なく平等に、全ての者たちを大切に、親切に、慈しんでいけるように、心を滋養なさられていかれると良いのではないだろうかと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
安藤様。川口様。ありがとうございました。
自分だけではなく、あらゆるものへの慈悲の心も育んでいけたらいいなと思います。