無償で人を助け続けることについて
はじめまして。
無償で人の要求に応え(助け)続けることとは、仏教的には何なのか、続けることに嫌な気持ちを持つ理由は何なのか、嫌になった場合はどうしたら良いのか、などお話伺いたいです。
きっかけはバイトです。
現在北欧に住んでおり、仕事はレストランでのバイトです。バイト先にはジプシーが大抵1日3人ほど来ます。
ジプシーとは、道で物乞いをするホームレスのような人々のことです。ヨーロッパで多く見かけられ、北欧にもいます。
彼らは決まって「カップとお湯をくれ」と横柄な態度で要求してきます。
私の何人かの同僚は、一切断っています。 理由は、1人の要求に応えると他のジプシーがどんどん来てお店がお客さんとジプシーで忙しくなるから、とのこと。
他の同僚と私は、たかがお湯を渡したところで減るものは無いし(店としては、カップ代の損失)、無銭でご飯を要求されているわけでも無いので、毎回要求されたら渡してきました。これで誰かが助かるなら渡した方が良いし、渡さないのは冷たいとも思ってました。
しかし、繰り返されるごとに段々嫌な気持ちになるようになりました。
お店が忙しいある日、1人のジプシーがいつも通り要求してきました。彼は2つ欲しいと言いました。ただでさえ忙しくてイライラしてるところに、嫌だなと思い始めてたジプシーの要求が来て、私は腹が立ちました。この怒りから早く解放されるために、彼に早く帰ってもらいたくて、私は2つお湯を渡しました。
ところが続けてまた別の1人のジプシーがお店にやって来てお湯を要求してきました。私の苛立ちは更に悪化して、お湯が無くなったと嘘をついて彼に早く立ち去ってもらおうとしました。
しかし彼はもらうまで帰ろうとしませんでした。なぜなら、前のジプシーが2つももらってるところを見たからです。
結局別のスタッフにお湯が無くなったことを説明してもらい、彼に帰ってもらいました。
なぜ私は、人助けを段々嫌になっていったのか、なぜある人は助けてある人には怒ったのか、自分の人助けへの感情や思考がわからなくなりました。お湯をあげる行為は1分で済み、それ以外の損害は私にはありません。
仏教的に、人助けとは何なのでしょうか、そもそも助けるという考えが誤っていますか。私の感情や思考方法について何かヒントがあれば教えてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
仕事先のレストランで放浪者の方にお湯を要求され無償で渡していたが、あるときから嫌になってしまったのですね。
ご質問をお伺いすると、相手の方は図々しい態度で要求しており、嫌になる気持ちもよくわかります。一方で、私は北欧の歴史や文化の中で、ご質問のような放浪生活を送る方々が、どのような認識をされているか全くわからないので、対応については地元の考えを尊重することが大事でしょう。
仏教で人助けというと、「利行(利他行)」という言葉が思い浮かびます。
「利行」とは困った人や動物などを見たときに、見返りを求めず、自然と親切をするように体が動いてしまう事です。あなたの行動はまさに利行でしょう。
どちらにしても、雇用主がお客様のためにあなたを雇い賃金を払っている勤務中に、お客様以外の事にあなたの時間とレストランの備品を使用して施しをしているという事になりますので、一度雇用主さんに相談してみると良いでしょう。
正直に断る
慈善行為をしなければ、とか、しない自分は悪いことをしているのか、などと「いつもこうすべき」と自分を縛ったり意識したりせずに、自分の気分、体調、お店の状態などを勘案して、その時々の対応でよいと思います。
忙しいときや疲れているときやそういう気分でないときは、「今は忙しいから(疲れているから)ダメ」[⇔「後で来て」だと約束したみたいでまずい]、と断ればいいと思います。
「あの人に二つあげた」と言われても、「あのときはそうだったね」で終わり。向こうは、みんなに同じように世話すべきだと勘違いしたりします。そうやって、徐々にレベルが上がっていって、いつの間にか、来た人全員にセットのプレートを二人分ずつあげてもてなさなければいけなくなったら、どうしましょう。
向こうにはねだる権利はあります。こちらには、応じる権利も断る権利もあります。義務ではないので、その時々で対応してください。諸行無常、状況はいつも変化しています。
質問者からのお礼
光禪様
乱文にもかかわらずご回答いただきありがとうございました。雇用主は、スタッフ個人個人に対応を任せているため、お店に対応ルールはありません。また質問内容は、ジプシーが来た時の対応をどうしたら良いか、ではなく、人助けをし続ける中で起こった自分の感情や思考へのヒントをいただきたく相談しました。質問内容が長過ぎてうまく伝えることができなかったと感じ反省しています。「利行」という新しい知識を頂いたので、自分の感情や思考への仏教的ヒントを得られるように、自分でも仏教を勉強してみようと思いました。ありがとうございました。