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姑が、逝ってしまいました。すみません。後悔で一杯。

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先週、姑が、急に逝ってしまいました。

自分はあまり出来た嫁ではなく、「はいはい」とだるそうに頼まれたことをしていたり、姑の悪口など影で言っていて、今、思うとかわいそうなことをしてしまったと後悔しています。

姑も、まったくの善人というわけではなかったですが、もうちょっと温かい目でお年寄りを見守ってあげれたらと。

クリスマス前に、会ったのですが、仕事で疲れていたのと、わがままに辟易して、冷たい対応をしてしまいました。
自分も仕事や自分の生活でいっぱいいっぱいで、心に余裕のなかったことは確かです。

介護は自分はしていなくて、娘さんが率先してやっていました。それほど介護がいるわけではなく、買い物とか病院の送り迎えとか、ちょっとした家の用事など自分はたまにしていました。スーパーや100均のお菓子じゃなくて、もっと良いお菓子など自腹で買ってあげればよかったです。甘いもの好きな人だったので。

亡くなる前日は自分は姑と会っていませんが、娘さんから聞いたところ、元気で普通の変わりなかったそうです。土曜日にレストランに食事に行こうかとかそんな話をしていたそうです。

次の日、娘さんが家に遊びにいったら、床の上で冷たくなっている姑がいました。
心不全でした。
こんなに簡単に、人って逝ってしまうんだと、ショックを受けています。

一番気の毒なのが、娘さんで、現場を見てしまったショックで寝込んでしまいました。罪滅ぼしですが、娘さんと息子さんにできるだけ、嫁の私が、出来ることならなにかしてあげたいと思っています。
料理作るとか、一緒にいるとか、車の運転や、葬儀や後片付けのお手伝いぐらいしか、自分にはできませんが。おせっかいですか?

姑も気の毒ですが、娘さんが本当に気の毒です。
享年91歳なので、しかたなかったと言えばそうですが、あまりにも急だったので、皆、傷心しきっています。

しょうもない嫁でしたが、私にもなにか出来ることはあるでしょうか。
アドバイスください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の人生後悔しない事です。

お姑さんが急に亡くなられてしまったのですね。
謹んでお悔やみ申し上げます。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

人のいのちというのははかないもので、いつ逝くかもわかりません。しかし日常ではそうとも思えず、我が思いのままに自分勝手に生きてしまうものです。

自分勝手で幸せになれるのなら問題ないはずなのですが、自分勝手を尽くしてもそうはなれないのはどうしてなのでしょうね。

人間は自分の中に自分の本当の願いがないのです。誰かから教えてもらわないと満足しないのです。

その願いをかけてくれるのが仏様です。そして今、お姑さんは仏様としてあなたにはたらきかけているのです。

それでええのか?
本当にそうしたいのか?
それがあなたの幸せか?
それは自分のためか?相手のためか?

今、いのちの終わりという何事にも代えがたい大きな大きな事実からあなたのいのちの在り方が問われているのです。

仏様は それはだめだ とは言いません。

それでいいよ あなたのそのままでいいよ

とお許しくださるからこそ、私が問われるのです、絶対に許されるからこそ、自らの在り方を恥じる。

こうしなさい と言われたら人間は反発するもんです。

過去のお姑さんに関するあなた自身のご質問とお坊さんからの回答を読み直してください。

そして、ただただお姑さんのご命終と、仏様としてのはたらきに手を合わせましょう。

南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

まだ葬儀が終わっていなく、ばたばたしている最中です。
落ち着いたらよく考えて、コメント+お礼をします。

今回のことで、思うことが沢山ありました。
人はいつ逝くか分からないこと。
今日をいただけたことを感謝して、今を大切に生きなければいけないこと。

自分のことばかり考えて、我儘放題やっても、心はけして満足せず、幸せにはなれないこと。

以前の質問で、嫌なこと沢山書いてしまいましたが、正直、仕事と自分たちの生活でいっぱいいっぱいの毎日で、休みの時間や仕事から帰ってから色々な用を頼まれると、体力も気力も消耗して、しんどかったのです。
仕事していると、心も時間も余裕がないです。サラリーマンの人達も、ギリギリのところで頑張って毎日働いているので。

自分は子供のころ貧しかったので、食べ物を平気で捨てることのできる感覚が理解できませんでした。貧困で3食満足に食べられない人たちも一杯いて、フードバンクに頼ってなんとか生き延びている家族もいるのに。
今となっては、姑が食べ物をゴミ箱に捨てていた事件は、もうしかないことですが。

貯金に余裕があったので、もっと美味しいものを食べたかったのでしょう。

今は、遺品の整理に私たちは追われています。業者に頼めばいいのですが、個人情報に関するものが沢山あって、それもバラバラに分散していて、全ては第三者に頼めない状態です。
それに、古い置物や書籍など色々なものが沢山あって、体力勝負です。
自分は、もう極力、物は買わない、溜め込まないと心に決めました。
必要なものしか家に置きません。

まだまだ、思うことは沢山ありますが、もう人の悪口言うのやめます。悪口を言って、これほど後悔したことはありません。

人の悪口は、やっぱり良くないことだと身にしみました。

今思うと、姑に良くしてもらったこともあります。ひどいイビリも受けたことはありません。

根はそんなに悪い人ではなかったと思いたいです。最後の2,3年の、色々な出来事は、歳だったのでしかたなかったのかな。
高齢でしたが介護がいらない人だったので、嫁としては楽させてもらったと思います。

姑の冥福を祈ります。 

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