お坊さんは寂しさを感じたとき、どのように対処しますか?
こんばんは。
ご質問させていただきます。
お坊さんは寂しいと感じることはありますか?
もし寂しさを感じたら、どのように対処していますか?
ここ数ヶ月は家事と育児で1日が終わる日々で、ときどき無性に寂しくなることがあります。
家族のそばにいられてとても幸せだと常々思うものの、社会との繋がりがないことに不安と孤独を感じます。
ご助言をいただけましたら幸いです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
孤独はこころを深めるとき
アニさん
アニさんのお話を読んで「そういえばそうだったあ~」と思いました。
私も家事と育児の頃は無性に寂しさを感じていました。
いまは「おひとりさま」なんですけど、ぜんぜん寂しくありません。
何日か人と話をしないこともあったりしても平気です。
人からみたら「寂しい人」と思われるのでしょうけど、孤独がとても心地よいのです。
寂しさを感じていたころと何が違うのかと考えると・・・
「どこに向かって生きていくのか」という方向性が定まっているということかもしれません。
いまの私は「お釈迦様の示した道を歩みます!」っていう方向性があります。
だからはいま孤独ではないのです。
人やモノ・・・そして子供さえも私の孤独を埋めてくれなかったということなのです。
寂しく孤独だと感じること・・・それはとても大切で貴重な経験です。
寂しさや孤独を感じることで人の心は深まります。
寂しさを体験することで人への思いやりを育みます。
大変な育児のときがいつまでも続くわけではありません。
いまは育児を経験しながら自分を育てるときだと思いましょう。
そしてこころを深め思いやりある人に自分を育ててくださいね。仙如
いくらでもありますよ!(笑)
アニさん、こんにちは。
いくらでもありますよ。
真理を悟れば悟る程、孤独ってわかってきますから。一番孤独だったのはお釈迦さまだったとお経にはかかれています。真理を理解できる同じ価値観を持つ人がいないのですから。だからお釈迦さまはそこから42年間かけて、人々を教化して、真理を理解できる弟子を育てたと、お経には書かれています。
寂しさがわかるからこそ、パートナーや友達、家族の大切さやがわかります。仏教では信仰仲間(サンガ)は、真理と同じ尊さであるとも説かれます。
また寂しさを理解するために、人生の生きる意味や志、趣味を作るのです。
アニさんは、今子育てで大変だと思います。だからこそ、合間をぬって、人生を楽しむ力をつけましょう。子育ての合間にできる趣味もたくさんあります。今、私は絵を描くことが楽しみになっているのですが、子育て中、子供の絵を描くのもいいでしょー!いろいろチャレンジして見てください。すると寂しさに浸る時間もなくなってきますよ(笑)。
がんばって!合掌
伊藤比呂美さん訳詩の「今日」
こんばんは。
私も、そういう気持ちになる事ありますよ。
一日中寺にいて「今日の私は一体何やってたんだろう?」って日もあります。
そういう時は「そういう日もあるさ」って思うようにしています。そういう日もあります。あっていいんです。そうじゃない日もちゃんとあるんです。
子育てに追われてバタバタなあなた、
伊藤比呂美さん訳の「今日」という詩を是非読んでいたたきたいです。著作権などの問題でここでは出せませんが、是非探して読んでみてください。
質問者からのお礼
皆様
ご回答いただき、誠にありがとうございます。
ご回答を読み、寂しさを感じてもいいんだと思い、心がとても軽くなりました。
寂しさを感じるからこそ、周りの人たちの大切さを改めて感じることができる、自分を成長させるきっかけになる。捉え方を変えることってすごいなぁと思いました。
これから少しずつ趣味の充実を図りたいと思います。また、ご紹介いただいた「今日」という詩は落ち込んだときに読み返します。
とても励まされました。
この度はどうもありがとうございました。