貴重な高校生活、このままで本当にいいのか?
こんにちは、初めて質問させていただきます。
最近、貴重な高校生生活を友達が少ないまま過ごしてもいいのかと悶々と悩んでいます。
私は元々引っ込み思案な性格で、人にグイグイと話しかけるタイプではありません。
そのため、小学校では常にひとりぼっち、中学でも不安定な友人関係しか築けませんでした。
高校生になり、環境が一新し「今度こそ一緒に行動できる友達を作ろう!」と思いたち、とりあえず孤立していた1人の女の子に積極的に話しかけてみました。
そのおかげで今現在もその子と仲良く出来ており、他にもクラスでひとり友達ができたし部活も入ったおかげで更に交友関係を広げれました。
ただ、それでも他の子に比べたら友達が少ないと思うんです。
休日も勉強するか1人でぶらぶら出掛けるかという日々。なんだか虚しくなってきました。貴重な高校生活、こんな狭い交友関係で終わってしまっていいのかと。
友達の数が全てじゃないってわかってます。こんなしょうもないことで悩んでるなんて、今仲良くしている友達にも失礼だと思います。
でも友達がたくさんいる子に嫉妬している自分がいます。楽しそうで羨ましいなと。
私は人と関わるのが苦手なはずなのにそういう人に嫉妬してしまうんです。矛盾していて自分でも訳がわかりません。
どうしたら心がスッキリするのでしょうか……
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出会いは縁、縁が無ければ自分を磨け
古い経典の言葉です
「どんな音にも驚かないライオンのように
網に捕らえられることのない風のように
水で濡れることのない蓮のように
犀の角の如く、ただ独り歩め」
(スッタニパ-タ)
かなえさんにとって友だちって何でしょう?
よく世間では大勢の友人と毎日楽しそうにしている写真をアップして「リア充」みたいに呼ばれている人が居ますが、かなえさんもそういう人を目指しているのでしょうか?
「そんなわけじゃない」みたいに言われそうですが、嫉妬しているということは、そういう人をうらやましいと思っているからですよね。
でもね、大勢の友人達に囲まれてワイワイやっているからといって、必ずしもそれが充実しているとは言い切れません。
お休みの日に独りで勉強していたって、それを「充実した一日だった」と思う人も必ず居ます。
結局はその人の感じ方ひとつ、気持ちひとつなんです。
上の言葉は、お釈迦さんがお弟子さん達に語った「修行者の心得」的なものですが、今を生きる我々にも通じるものがあると思います。
隣の庭はきれいに見えてうらやましいと思えますが、それを追いかけてもしかたがありません。
周囲のあれこれに振り回されて、右往左往しているだけでは、一生スッキリなんてありえません。
渡辺和子さんの言葉
「置かれた場所で咲きなさい。咲かない時は、地中深く根を伸ばしなさい」
心配しなくても、あなたの人生はまだまだこれからです。
高校を出て、進学あるいは就職すれば、今よりもっと世界は広がります、それこそ可能性は無限です。
だからこそ、今はしっかり自分自身を磨こう、しっかり勉強し、たくさん本を読み、人としての基礎をしっかり築きましょう。
本当に良い友人が欲しいのならば、まずは自分が良い友人を得るにふさわしい人にならなきゃね。
はるか30年前を思い出す
こんにちは。高校生ですか。私にとっては30年前です。
中高のある私立学校へ、高校から入学したものですから、周りの人間関係は大方出来上がっていました。そんな中で、(外部入学の人ではなく)つるんでいる…と言える程の関係にあったのは2人です。クラブの友達、クラスの友達はいましたが、「誰なのか名前を上げてみろ」と言われても「うーん」な程度です。
実は、その彼とは今でも繋がりがあります。もちろん当時との「つきあいかた」は違いますよ。けれど、「高校時代からの友達、いる?」と聞かれれば(現実に聞かれることはありませんが)、「いますよ」と答えられます。
クラスではやっぱり「友達たくさん嬉しいな」でワイガヤしている連中もいました。けれど「あぁはなれないな…」を自覚しつつ、「3人でなんとか楽しむ」ことを模索していたと思います。無言で益まで歩き、「じゃあな」と別れたこともありました(話題が何もなかった)けれど、誰かが話題を探してきたり、目に見えることを話題にしたり…「3人で楽しむ」、能動的に楽しもうとしていたのだと思います。少人数だと「小回りがきく」のも良いですよ。突然、「今日東京タワーに行かないか?」とかね。
ということで、改めてですが「量より質じゃないの?」という話です。
そうそう、この間卒業30周年同窓会がありました。当時は全く話した記憶もない人と、「いま」の話で盛り上がったり思い出話に花が咲いたりしました。羨ましがっているより楽しみ方を見つける。学校はいつか終わりますが、「楽しみ方を見つける」力は将来まで活用できると思いますよ。