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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

助けを求めるありかたをカエル🐸

人間どこまでいっても一人です。
結論から申し上げますと「自分で何とかしましょう」としか言えません。
冷たいようですが、ぴょんこさんに必要なのは本当は単純にこういう事だと思います。
本当に人生って自分で何とかするしかないんだわ、という気づきをそろそろ少しずつ持ってみませんか。
「自分で何とかするしかない」といってももちろん周りのサポートはあります。
ですが、あれこれ我々僧侶がアドバイスして薬やサプリを提供してもピョンコさんは服用して下さらないのです。
私が人生のどん底、泥沼にぴょんこして、お沼にハマってサァ大変だった頃、しのーかと思いました。
ですが、最終的に、ああ自分の人生全部自己責任じゃんと気づいたことがありました。
何を考えるのも自己責任ですよ。
あなたがネガティブな事を考えるのも自己責任。
あなたが暗いことを考えるもの自己責任という辛くもありがたいルールがこの世の基本中の基本なのです。
つまり、全部自己責任なので、全部自分がやることは【まかされている】ということなのです。
何でもできるという意味です。
あなたが、その泥沼からぴょんこするのだってあなたの自己責任・自分の意志次第です。
あなたは今、あえてその安全地帯に似た暗くネガティブでダークな沼に浸ることを自分で選択していると思ってみましょう。
冬場は寒いですから布団から出るのは中々厳しいものがあります。
ですが、外へ出て暖をとれば寒いという事実は終わっているのです。
でもあなたは布団から出る前から、どうせ寒いと思ってしまっているかもしれません。
それは、実際の事実を確認されていないという事です。
頭の中でどうせこうだ、どうせそうに違いないと思っているだけなのではないでしょうか。
この世はぴょんこさんのものではありません。みんなのものです。
「自分の思い通りにはならない世界」というのがこの世のありさまです。
ですが、自分の脳内だけは自分の自己責任で自分にまかされている唯一自由な世界なのです。
あなたが思い通りにならないと思っているのはあなたの脳内で思い描いたストーリーが現実で実際にその通りに進行しないという事なだけです。
あなたはあなたで自分を助けてみてください。
その脳内ストーリーだけをちゃぶ台をひっくり返すようにぶっ壊すのです。
すると、目の前には、あらまぁ、最初から♡真実の実際のストーリーが動き出します。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

また、そんなこと言って…。

 ご自分の問答集、プリントアウトしてみましたか?
 それを冊子(クリアファイル)に入れて、目次を作りましょう。
目次は、タイトルと一行の要約を付けて。

貴女も自分がオオカミ少年になりたくはないでしょう?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

ぴょんこさんの行きそうなところをご存知ありませんか?

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