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10年以上の親友と不仲になって2年

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中学の頃からずっと仲よかった親友と2年前気まずく食事を終えてから疎遠になりました。その友人とのこれからの付き合い方についての相談です。

相手と私は似たところが多く、勝気で頑固なところも似ていて中学高校の頃は大喧嘩を何度もしていました。けれどその分仲直りをして絆を深めていました。

しかし大学生になってから、友人のブランド志向が高くなったり恋愛関係のだらしなさが目立つようになり話をしていても楽しくなくむしろ話を聞いて不快に思うことが増えていきました。話が合わなくなってきたのはきっとお互い感じていたことだと思います。そしてある食事会で気まずくなってから連絡もとらなくなりました。

しかしお互いSNSは繋がっていて、親しくなくなった今でも、彼女の裏アカウントも私は見られる状態でお互い互いの近況はある程度わかっています。

去年の新年にあった同窓会の際、勇気を出して出席するかどうかのメールをしましたが有無だけの返事がきて、久しぶりに会いたかったと伝えましたがそれは無視されました。

そして今月私の婚約が決まり、人生のなかでも大きなイベントなのでSNS(友人限定公開)で報告したところ、見てはいますがノーリアクションです。

正直子供の頃から10年以上親友だったわたしの結婚が決まったのだから一言なにかあってもいいような気がします。

一度心を閉ざしたらもう2度と心を開かなくことがなく、プライドも高く自分からは歩み寄らない性格なのでしないのかもしれませんが。

そして、もうそんな”きっかけ”にもリアクションのない彼女に近況を把握されているのが正直嫌になりました。
SNSにはフォローを外したりブロックをしたり出来る機能がありますが、そのなにかしらのアクションを起こすことは今後同窓会なのであった際に余計気まずくなる原因、もしくはきっかけを失うことになると思い避けて来ましたが、プライベートなことを他の親友同様にみられることがとても嫌なのです。

躊躇うのも事実ですが、この状況がとても息苦しく彼女の投稿等が目につくたびに嫌な気持ちになります。私は今の自分の気持ちに正直に行動していいのでしょうか。

稚拙な内容文章で大変申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「親友」でいたいならば…

婚約おめでとうございます。ご相談拝読しました。

お読みして、あなたの気持ちの中心としては「不仲をどうにかしたい」のではなく「私の気持ちをわかってほしい」「私を祝ってほしい」という様にお見受けしましたがいかがでしょう?

彼女の気持ちは置き去りになっていませんでしょうか?

あなたから「きっかけ」を提案したのは事実でしょうが、それはあなたの思いの上での行動であって、彼女には彼女の思い・タイミングもあるでしょう。
今のままの関係でいて、ただ「祝ってほしい」というのは難しいのかなと思います。

あなたは婚約・結婚というタイミングですからその思いが強くなるのもわかります。立場が逆だったら彼女もそう思ったかもしれません。
しかし今は今。今の彼女の気持ちを聞かない事にはご希望のようには進まないのではないでしょうか。

「一度心を閉ざしたらもう2度と心を開かなくことがなく、プライドも高く自分からは歩み寄らない性格」というのは彼女だけでしょうか?
あなたは違うというのなら、あなたから心を開いてSNSでメッセージを送るとか、お手紙を送るとか、もう少しはたらきかけをして、「彼女の思い」をお聞きするための歩み寄りをしてはいかが?と思います。

「親友」である、これからも「親友でいたい」というのなら、このままブロック云々というのはもったいないかなあと思います。ブロックってけっこう傷つきますよ?

最後になりますが、もちろんあなたの思いも大切です。おめでたいことですから、何か気持ちに引っかかりがあるまま進めるのも気持ちよくはないでしょう。
彼女の思いを聞き出すためにも、お誘いというきっかけだけでなく、まずはあなたの思いをしっかり彼女にお伝えしてみてはいかがでしょうか。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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