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疑心暗鬼が怖い!現実と迷妄の境界線とは?

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

 いつもお世話になっております。
 あれから色々なお話を見聞し自分なりに考えた結果、あの恐ろしい迷妄は今のところ落ち着いています。
 ですが、ふとした拍子にまた疑心暗鬼になりかけてしまいます。
 
 ファミレスでご飯を頂いていても、外陣の椅子席で本尊を見つめていても(件の寺とは縁を切りました。今は私の檀那寺の本山に通っています)、ガラスやカウンターの向こうの職員さんと目が合うと怖くなってしまいます。
 
 今は公営の就労支援に通っており、平日連続休みとか、午後からとかはザラです。福祉手帳も申請しています。
 
 本題としては、
 その場にいるだけで疎まれることなく、人として必要とされるにはどうしたらいいかのか、現実と妄想の境界線はどこなのか…
 くだらないことかもしれませんが、真剣に悩んでいます。
 どうか、お力をお貸しください。よろしくお願いいたします。
 


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いまここ

こんばんは。「その場にいるだけで疎まれることなく」ですが、恐らく貴女の幼少の体験・記憶が、世の中を「そうでないもの」に見せているのでしょう。職員さんって、本山のでしょう?朝から晩までいるのなら、ソリャどうしたかな?と訝しがるかも知れません。けれどね、あそこは誰がいつ居てもいい場所。扉が開いている限りはね。
だから、一回行ってごらんなさい。「こんにちは。あの、ここ何時までいていいですか?」って。その行動を起こさないで「疎まれてる…だろうな」と勝手に考えるのを妄想と呼ぶのです。実際に起きていること、真実は「座っているだけ」。自分の足で歩き、自分の口から尋ねる。その時帰ってくる言葉が真実です。
貴女は幼少の頃より、ずっと行動範囲が広くなっているでしょう?世の中には「あんな所もある」、それは確かです。けれど、それが世の中のスタンダードではない。どこでも同じではない。それを反芻しているのは、貴女が自分でやっていることです。行動しないことで、自分の妄想を強化しているのではありませんか?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

佐藤良文 先生
こんばんは。ご回答ありがとうございます。
幼少の頃から肩身の狭さと生きづらさを感じていたのは事実です。それと同時に、
行動範囲が広がっているのも事実です。仏さまの教えのおかげで。
檀那寺の本山は開扉時間や立ち入り禁止時間、及びもろもろの禁止事項を境内各所にしっかりと明記してくれています。件の寺とは違って。
この妄想はあまりにも厄介で、時に私を鬼(いや、それより怖いな。)に変えせしめます。
それでいわゆる異常な言動と行動に走ってしまうので、お医者様がたとも連携していきたいと思います。
仏様のお救いを固く信じ、残りの人生、精進いたします!

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