寝られないほど苦しんでいます。死後について
死後について、天国しかないという人もいれば臨死体験で地獄へ行ったという人もいます。
私はこれまで悪いことを沢山しました。
嘘も沢山ついてきました。心配してほしくてついた嘘もあります。
申し訳ないと思いながらも気にかけてほしくてついている嘘もあります。
ぬすみもしました。
りょうしんのおかねをとりました。申し訳ないと思い、どうすれば良いのか悩みましたが、全て自分持ちで両親を旅行に招待することにしました。
友人のお金を盗ったこともあります。近々出産だというのでお祝い金や友人へのお祝いで盗った額以上返したいと思っています。
本来なら謝らなくてはならないことですが、勇気がありません。
汚いとは分かりつつこれが精一杯です。
今までしてきた悪いことに後悔し、毎日地獄に怯えて正直精神的に参っています。
自分の犯した過ちでくるしんでいる、で地獄にはいきたくななんて都合良すぎる話かもしれませんが、おかしくなりそうですl
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
罪を犯しまっても、救いはございます
豆柴さんこんばんは、ご質問拝見しました。盗みも嘘も犯してこられたことを告白され、その上で死後の世界にて地獄に落ちることをご心配されているのですね。罪を犯して生きているのは私も同じです。その上で私はあなたが正直な方だと思います。もちろんお金を盗んだこと大きい罪ですので心から悔いいていただきたいです。私なりの個人的感想ですが軽い嘘や車のスピード違反も罪なのですが犯しても、比較的みんなもしているからと気にしていなかったりして罪を重ねている方が多い気がします。もちろんそうしなかったら生きて行きにくいことは多々あります、私もそれは同じです。さらには罪を厳密に考えれば生きて上での食事も他の命を頂いて生かせてていただくいう上で立派な罪です。つまりは盗みなどの罪を犯してはいけないですが、他にも私達は罪を犯さなければ生きていけないということです。罪はなるべく少なく生きていくことは大切ですが、それでも罪は犯さざる得ないのです。では人はその償いとして地獄に必ず落ちるのかといえばそこに罪に対してそれを上回る善行(よい行い)がありばだいじょうぶとも言えますが、少なくとも私には罪の方が多そうです。では地獄行きは確定かといえば本来はそうです。私だけでなく多くの方々もそうかと思います。だからこそ阿弥陀如来をはじめとする仏さまは私達を地獄に落ちないよう救いの手を差し伸べてくださっております。私は死んだ方の心が存在している以上、死後の世界に地獄はあると思います。また幸せの世界である浄土も確かにあると思います。そして同時に地獄も浄土も生きている私達の心の状態でもあるとも思います。ご安心ください、あなたがその罪を反省し仏さまに懺悔し、救いを願うとき阿弥陀如来様をはじめとする仏さまは必ずあなたのお心をお救いくださるものであり、死後も地獄ではなく浄土に生まれ変わられます。私のご宗旨で言えば南無阿弥陀仏のお念仏にその想いを込めてお唱えいただければと思います。もちろん他のご宗旨の考え方でもお救いいただけると思います。ですからその罪から目を阿そらさず、向き合いつつ仏さまに救いを求められ、できれば人のためにも自分のためにもよいことを出来る範囲で心がけてくださればと思います。必ず救われますから、ご安心ください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
臨死体験で地獄を見た人は神仏をけなし、犯した罪に反省しなかった人という事なのでしょうか。
自分の犯した罪、現在進行形の嘘、いけないと思いつつもこれまで反抗しないようにした反動なのか、親や主人にどこかで心配してて欲しい、気にかけてほしいという気持ちで一つの件に関して嘘をついている自分がいます。
殺しに関しては虫等殺してきました。
虫にも命があるのは承知の上ですが、それ以上に恐怖の方が勝り、この先も殺してしまうと思います。
動物、魚を食べてる以上殺してるのと同じですし、この先本気で何かしら命無いもののみで生活できないか考えていました。
私には小学生の時になくなった祖母や祖父がいますが、天国から見ていると思いつつ悪いことをし、困っては助けてほしいと思ってしまう非常に都合良い人間です。
枕経から始まり数々の法要が実は故人に亡くなったことを理解させるためのもの、定期的におこなわられる法要も故人の定期検診みたいなもので様子を伺うためのものという本を読み、今まではボーッと聞いていたお経もこれからは故人を思いだし、考えながら聞こうと思いますが、信じる信じないではなく、信じていながらも何とも言い表しがたい素人の自分が意味も分からず坦々と読んで先祖様達はこの罰当たりめと思っていないかと不安になってしまいます。
人間界は生き地獄だとよく言いますがそれでも私はまたこの世に生き返りたいです。
都合良いと思いますが、天国に行き少し幸せな気分を味わいたいけど、やはりこの世の苦しさや刺激も嬉しいのです。