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流産後 子供を諦められない

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有り難し有り難し 65

32才女性。原因不明不妊で3年体外受精をしています。
治療のため仕事も諦め副作用に耐えながら注射を150回、手術9回を経験しこれまでに12個の命を移植して2つ赤ちゃんになりましたが2人ともお腹の中で死にました。

先週は出産予定日で本当なら今頃は赤ちゃんを抱いていたはずなのにと思ってしまいます。つけるはずだった名前を心の中で何度も呼んでしまいます。

近親者が立て続けに亡くなったので天国で私の赤ちゃんと遊んでくれているかなとか亡くなった2人が私の赤ちゃんを連れて行ってしまったのかなとも思います。

それから流産のしくみを知らず母親の自覚のなさが原因と勘違いした親しくもない男性が私のせいで赤ちゃんが死んだと罵ったことがあり、そんなことをふと思い出しては当時ショック過ぎて言い返せなかったことが悔やまれます。

よくも私の赤ちゃんを思う心を馬鹿にしたなと自宅まで言ってその人の家族の前で怒鳴り返してやりたいとふとわけのわからない怒りがこみ上げてくることもあります。
私は赤ちゃんのためだけに必死に副作用に耐えて頑張ってきたのにと思います。

これだけの数の命が私のお腹の中で死んでいくのだからもう諦めなくてはいけないと思うのですがもう少しだけ頑張ったら空に還った赤ちゃん達を取り戻せるかもしれないと治療をやめられません。

昔から子供が欲しくてできれば3〜4人と思っていたくらいなので子供のいない現実が受け入れられません。一度も抱いてあげられなかった天国の赤ちゃん達に悪い気がして今は友人の子供を抱くこともできなくなりました。

外で妊婦さんを見ると憎らしく思う気持ちは全くないのですが自分の赤ちゃん達を思い出して吐きそうになってしまいます。

年齢が上がるにつれ妊娠率が下がるため治療を休むことは諦めることになるのですが最近治療していくにも心がもちません。

一睡もできずに朝を迎えることも多いです。考え事をしていたら昼食を食べ忘れることもあります。
自分でもどうしたらよいのかわからず話がまとまっていないのですがとにかく苦しくて困っています。

あたたかな家庭だけを夢見てきたのに。どうやって気持ちを切り替えたらよいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「人の為」が人を傷つけます

こんにちは。
御相談拝読しました。

実は私のところも中々子供を授からず、結婚して数年経ってからやっと長男か゛生れてくれました。
結婚式の数日後から近所の方やお檀家さんから 
「子供は出来たか」「早く跡継ぎを作ってね」
とさんざん言われました。私もそうですが、妻には相当ストレスだったと思います。
今は息子一人ですが、そうなると今度は
「一人は可哀そう」「兄弟作ってやるのは親の義務だ」
等と言われます。
結局、どうあっても他人は何か言うものなのです。
そしてその人々は
「兄弟は多いほうがいい」等と当たり前のことを言います。私としては「人生の先輩なのにどうしてこんな当たり前のことしか言わないのだろう」と不思議でした。

結局、人は自分の想定する幸せこそ究極の幸せだと思うのです。
だからの幸せのカタチをシェアすることが善いことだと思い込むのです。
「あなたの為」「人の為」と色々いうのですよね。

しかし、「人の為」と書いて『偽』と読みます。

つまり、人は偽りの存在でしかないのです。
しかも善いことをしようとすればするほど人を傷つけるだけなのです。
戦争などその代表例ですよね。宗教戦争なども。『自分が正しくて相手が間違っている』と。
つまり『善と悪の戦い』ではなく、『善と善の戦い』なのですね、この世の中って。

決してご自分を責めないで下さい。
人間の力って非力なものですよ。
私も人の幸せが妬ましい時は山ほどあります。僧侶なのに友達の幸せを喜べないことはたくさんありました。僧侶だって人間ですもの。
憎い時は人を憎み続けてください。中途半端でなく、憎み続けるといつか疲れてきます。とことん泣けば泣き疲れてきます。
「泣」という字はサンズイに『立ち上がる』と書きます。
泣くのは立ち上がるためです。立ち上がれるまで泣き続ければ心の垢は流し落とされてすっかりきれいになります。
どうかご自愛くださいね。

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おきもち

新潟県にある真宗大谷派の住職です。 寺に生まれ、寺に育ち、宗門の大学を出...
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「正しい知識」から逃げず「いのちの重さ」を受け止める

ご相談拝読しました。
その心無い男性の言葉は受け流しましょう。受け止める必要のない言葉です。「流産のしくみ」=「正しい知識」のない人の言葉だと哀れみましょう。返すならば怒りでなく哀れみで。これからも妊娠を目指すのであればストレスは大敵です。

たんぽぽ様も「正しい知識」があるならばそこからブレず逃げない事です。亡くなった近親者が受精卵、そして赤ちゃんの命を連れていったということはありません。これからあきらめず不妊治療を継続し妊娠に至っても「空に還った赤ちゃん達を取り戻せる」わけでもありません。
亡くなったいのちと新たないのちは別のいのち。亡くなった事実が無くなるわけではありません。
そのことについて「正しい知識」から逃げないのであれば「誰かのせい」と押し付けることも「私のせい」と必要以上にご自身を責める必要もありません。

言うまでもなく、子どもは作るものではなく授かるもの。私に私だけの力で子どもを作る力があるならば、逆に流産は「私のせい」とある意味で傲慢になることもできますがそうではないでしょう。
ご自身で「原因不明」とおっしゃるとおり、妊娠は数限りないご縁により授かるものです。ならばこれまでに亡くなったいのちの重さを受け止めつつも、「私(だけ)のせい」とは思わないでください。そして「取り戻そう」とも思わないでください。
いのちの終わりからいのちの重さを問われながら、きちんとたんぽぽさんご自身のいのち、そして不妊治療により授かることを願う「新しいいのち」と向き合いましょう。

お子様に恵まれないと幸せになれないのか。お子様に依存する幸せは本当の幸せなのか。もし恵まれなくともご主人とたんぽぽ様の2人で2人のいのちが輝く生活は送れないのか。お医者様とよく相談してこれからも治療を続けるべきなのか。またいのちが失われることが続くことも予想されるならばどこまで受け止めていけるのか。

今あるご縁に支えられて、これからの道を見定めていきましょう。なお私は結婚して2年弱。子どもには恵まれておれません。まだこうした場では多くは語る気になれませんがこれからも実子は望めないでしょう。一緒に考えていきましょう。

追記
おっしゃるとおり受精卵もいのちですね。http://hasunoha.jp/questions/5517
全てのいのちにお悔み申し上げます。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
伺ったことを少しずつ自分なりに考えていきたいと思います。1人で思いつめていたところ相談にのっていただいて少し気が軽くなりました。

さらに質問するようで恐縮ですが、2つの命の重さをとのことですが仏教ではある程度の細胞数が増えてからが命なのでしょうか。カトリックでは受精卵になった瞬間から命としてカウントされると聞きました。

お腹の中で消えていった残りの10の子供たちについてはどう考えたらよいでしょう。伸び縮みして動いているのでまだ細胞数が少なく人のカタチはしていなくても母親としては愛おしく可愛らしく見えてしまいます。

命として考えないほうがよいでしょうか。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ