ペットを殺してしまった。
3年飼っていた雌鳥、毎日卵も産んでくれていたしとてもなついていました。
常に鳴き声がうるさくて、近所迷惑がとても気になっていました。
今日も午前中からギャーギャーうるさかったので小型犬用のゲージに閉じ込めました。
それでも中からの鳴き声がうるさいので毛布をかけました。
「危ないかも」と思いながらも夕方まで放っておき、さっき開けたら死んでいました。
まず、浮かんできたのは「まずい。パートナーになんと言おうか」次は「でも、うるさいのが一羽減った」でした。最後に「可愛そうなことをした」でした。
パートナーには正直に話すつもりです。
お坊さんに話を聞いてもらうことで心の安らぎを得ようとしている自分がなお嫌になり、今後の人生が恐ろしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命をかけて教えてくれた。
今朝は何かで虫の居所が悪かったのでしょう、
そのはけ口を鳥にぶつけてしまったのですね。
はけ口をぶつけた結果が自分の思いもよらない結果を招いてしまった。
だから、「パートナーになんと言おうか」と一番に思ったのでしょう。
これは単なる保身ではなく「悪いことをした」という罪悪感が最初にあるからこそ出てきた思いです。
「うるさいのが一羽減った」は、言うなれば罪悪感を誤魔化すための自分への言い訳です。
本音は「可愛そうなことをした」ということだろうと思います。
彼に正直に話すつもりになって、その前に「お坊さんに話を聞いてもらう」これは言うなれば深い罪悪感を軽くするための懺悔です。
あなたが「悪いことをしてしまった」という感情がよく見て取れます。
良い勉強をさせてもらいましたね。
相手が人じゃなくてよかったです。
一時の感情にまかせて、他を巻き込んでしまうと、思いもよらない結果を生んで、返って自分を苦しめてしまいます。
イライラや怒りの感情から生まれたものは、必ずあなたに不利益をもたらします。
吐いた唾は必ず自分に戻ってくるのです。
死なせてしまったことを後悔するのではなく「鳥が命をかけてあなたに教えてくれた」と思って、繰り返さないように気をつけることです。
今の罪悪感を無駄にすることなく、あなたが自分の身を正すことで、鳥もきっと浮かばれることと思います。
亡くなった鳥さんに、「ごめんなさい、ありがとう。」と心から伝えてあげて下さいね。
過去のことは気にしない
もう時間は戻らないです。
後悔しても仕方がないこと。それだけです。
今後のために、うるさい近所迷惑かもしれない。静かにさせなければこれらはすべて鳥に原因があるのではないです。あなたの心の中にあります。問題にしているのは鳥の声ではなく、あなたの心です。心に振り回された結果としてこうなったのです。
こうなったことについて、善悪もありません。生命の働きが止まる条件がそろっただけのことです。
時は過ぎています。過去のこととなっています。現実のみを受け入れるだけのことです。悲しいことですが考え込むことは苦しみを生みだします。
質問者からのお礼
円通寺 邦元様
早速の回答をありがとうございました。
おっしゃる通り、原因は私にあり鶏は死んでしまいました。
考えずにはいられず、罪を感じながら生きていかないとまた同じ過ちを犯してしまいそうです。
現実を受け入れて自分の心と向き合って行こうと思います。
ありがとうございました。
受法寺 小原観慈様
早速の回答をありがとうございました。
とても申し訳ない事をしたと改めて感じました。
まだまだ感謝するという気持ちは持てそうになく後悔が続いていますが、お墓に向かって「ありがとう」と伝えていきます。
怒りは不利益をもたらすという言葉をこれから大切にして、残りの鶏達との生活や生き方の教訓にします。
ありがとうございました。