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何事にも気持ちがせってしまい、常に落ち着かない

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例えば、彼氏といつかここに行ってみたいね、という話があった時、「いつ行くか」という事を今決めておかないと不安になったり。
今バンド活動をしているのですが、メンバーの怪我や個人的な事情などで活動できない期間が1か月でもあいてしまったりすると不安になります。

その他にも様々なことがいつも頭の中でせわしなく動いていて、気持ちの休まる暇がありません。

やるべきことが滞っている状態や、トラブルが起きて思い通りに進まないという状態に耐えられないのです。そうしている間に、そのもの自体が消えてどこかに行ってしまう、失ってしまうんじゃないかという不安が襲ってくるんです。

彼氏には、あまり物事を急ぎすぎると周りも疲れてしまうよ、と言われます。私も、もっとゆったりとした気持ちで日々過ごしたいと思ってはいるのですが、どうしたらそうなれるのかがわかりません。アドバイスを戴きたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫。明日すらまだ来ない。

人間は思い、考えの上では巻き戻し機能と推測上の早送り機能がついているプレイヤーです。
これは過去の事を思い起こしたり、先の事を推測する力です。
ですが、実際の現実のリアルタイムの事実の上での人間の機能はカメラ、ムービー機能だけで、巻き戻し、早送りは絶対にできないのです。
この世界(法界・仏の世界)というものが、そもそも▶再生機能▶PLAYしかありません。FF▷▷早送りとREW◀◀機能は、今のところ、まだドラえもんの世界にしかありません。
今日私はこれから間もなくお通夜ですが、今はこうして、ここを生きています。
前後なく生きています。
今いる所をやるほかないという目線でやっています。
これは「今を生きよう」というスタンスでやる感覚ではなく、物事の本質が人間いつでも今の事っきりしかないという真実の感覚をマスターしさえすれば、だれでも後先をあまりみなくなります。
人間の左脳は、過去と未来だけを相手にしているのだそうです。
それを分析的に取り扱うのが左の脳の役割なのだそうのです。
反対に右の脳は、現在の事しか相手にしないのだそうです。
直感的で、感じるままに、触れていることだけ。
近年「いま・ここ」という言葉がしきりに言われるのは「いま・ここ」に目を向けよういうことが真意ではなく、人間の実質が誰もが、今、ここの事しかないのです。
坐禅ビジョン、悟りビジョンはゆえに、はからいなく、いま・ここに自動的にライドオンします。
これは難しいことではなくて、今の自分の実質に目を向ければ誰でもそうなります。
みているもの、聞こえているものだけに気持ちを注いでみてください。
先の予定というものは、決まった所でその時になってみなければ真実は迎えに来ません。
全部頭の中でやっているだけのものです。
さらに私は、明日、胃カメラ検査を控えていますが、まだその時になっていないので、痛くもかゆくも気持ち悪くもありません。
そこで良い方法があります。
今から先のその時の事をアレコレ考えても、その時になってみないと絶対に分からんですし、無駄に心が疲れるだけですから、それが終わった10秒後まで、その時の先の不安などは絶対に考えないことです。(笑)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

肩の力を抜いて

あきこさん、こんにちは。

あきこさんは、何か個人的なイベントがあったりすると、前日までには準備を終えていないと気が収まらないタイプでしょうか?

彼が「物事を急ぎすぎると周りも疲れてしまうよ」と言うということは、
もしかしたら、出すまいと思っていてもついつい手や口を出してしまうとか、自分の思っている形にならないと、ちょっと気に入らないとかいうことも結構あるのではないですか?

あなたは本当は、何でも自分で結構そつなくこなせてしまう人なのではないでしょうか?

もしあなたが、そんなタイプだとしたら、何でも自分がしようと頑張るんじゃなくて、少し他人に任せて休むことを考えてみたらどうでしょう?

あなたの周りにはたくさんの人がいます。
たくさんの人がいて初めて、この世のものごとは成り立っています。

そこには、あなたが考えると同じように、それぞれの人が考えた、目の前のものごとの扱い方があります。
ですから、同じ完成形を作るにも、人によってプロセスは違うのです。

確かに、目の前にあるものが、自分の思う通りに運んでいないと不安になるものです。
それを静観しているのは安心できないかもしれませんが、そこにはあなたの愛する彼氏や親しい友人や信頼できる人たちがたくさんいます。

すべてをあなたがこなして疲れてしまう必要などどこにもないのです。

自分の思った形よりも、彼氏が作った形の方が、あなたを感動させることだってあるはずです。
バンドで、根を詰めて練習している時の演奏よりも、1ヶ月休んで演奏してみたら肩の力が抜けて気楽に演奏できることだってあるかもしれません。

もっと周りを信用して、あなたは少し肩の力を抜いてみたら如何ですか?

もしかしたら、今よりもずっとずっと視野が広がって、新しいあなたが見つかるかもしれません。

あなたの周りの人たちは、あなたが信頼している以上に頼りがいのある人たちのはずですよ。

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自信を持ってください

きっと、あなたは、ご自分に自信が持てないあまり、未来を心配してしまうのでしょう。
今をしっかり生きてこそ、未来もきちんとついてくるわけです。
逆に今やるべき事をしっかりやっていれば自信も持てます。
地に足つけてしっかり今を生きましょう。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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