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これは、DVですか?

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旦那と喧嘩するたびに、お金を没収されたり、携帯を初期化されたり、LINEを退会させられたり、酷い時には、痣が出来る位強い力で床に押さえつけられたり、首を絞められたりします。

DVであるなら、旦那をやんわりと落ち着かせる方法はありますか?

※お金を没収は、喧嘩のたびに毎回、頻繁にされます。
※旦那は、普通に働いてますが、適応障害と診断されているみたいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご自分の考えの真偽より、ご自分の命の安全を最優先に

自分の幸せのイメージに住すると人はDVを受けていても「私はこの人といることが幸せなんだ」という妄想に憑りつかれ気が付いたら傷だらけアザだらけ身も心もボロボロで子供がいたらその子供も将来的に病んでしまいまする。
幸せイメージとは現実がそうで中れば「幻滅」されるべきものであるはずで、目を覚ますべきものなのです。そこで本当の現実に目を向けるからです。
家庭の中の独裁者を抑えられる問題解決能力がなければ、無理してその人と一緒にいない方がいい場合があります。逃げるのではなく「身の安全の為にこそ」見限る、離れることがあなた自身の女性としての自立としても良いと思います。冷たいですが決めるのはあなたです。
100人の既婚者に話を聞いてみましょう。うちの旦那・家庭は大いに問題がある、やっぱりおかしいという現実が見えてくるはずです。
適応障害であれば職場でも適応ができずに家庭で一番の弱者である自分より力の弱い方に暴圧の力が向きやすいといわれております。
「どこかで断ち切ったほうが幸せかも」という選択肢を持ってください。
断ち切ってもあなたには罪はありません。
あなたの人生をあなたの人生があなたの主人公なのです。
その人と出会ってなかった時のあなたも、その人と別れた後のあなたも、あなたが主人公なのです。そして、あなたの主人公はあなたの考え方の方ではなくて、アザができている、首絞められて苦しい、お金を奪われ人権を軽んじられているあなた自身の身体があなたの主人公です。
私ならば、今週中に荷物をまとめて安全な所に避難します。
逃げてよいのです。逃げるのが悪いと思われているのはあらゆる動物の中で人間だけであると言います。自分の生命を人権を、携帯を、お金を尊重してくれるあなたを言葉ではなく行動で愛してくれる人を探しましょう。
自分の中の幸せストーリーより、あなたが出会っている現実のストーリーが真実なのです。
この人を救ってあげられるは私しかいないなどという考えに支配されないでください。
あなたが適任者だったらその旦那はとっくに救われています。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

これは完全にDVです。

全部暴力です。
お金をむしりあげるのも、力が勝ってないとできません。

なお様は「やんわり落ち着かせる方法」を質問されてますが、まだ御主人と離れないつもりでおられるのでしょうか。

暴力行為の最中に落ち着かせる方法.....
それは、DV行為が行われているのをじっと耐えるしかありません。

変に話しかけたり悲鳴を上げると、余計に逆上しますので。

女性に暴力を振るう男性は気が弱いです。
なのでしばらくすると、自分のした事が恐くなり収まります。

そして、場合によっては涙を流し謝ってくるでしょう。
あなたに対する行為にではなく、自分の保身のために。

また、「こんなことになったのも、すべておまえが悪いから」と言って、自分を正当化してきます。

「やんわり落ち着かせる」事が目的ならば、これで達成です。
しかしこれは、対処療法に過ぎません。

DVのループからは逃れられません。

御主人を根本から治すことは難しいでしょう。
このような方は、ダメだと分かっていても、勝手に手が出てしまいますので。

私は御主人から離れられたほうがいいのではと思います。

離れるかどうかは、あなたの意思でしょうが、今回は暴力が絡んでます。
身近な方に相談され、意見を取り入れられた方が有益でしょう。

ひとりで考え込まれず、周りの方から援助を受けて下さい。
また、けがをされた場合は迷わず警察に飛び込んでください。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

DVです!もう逃げるときです

なおさん

あなたが旦那さんからされていることは疑いなくDVです。身体的DV 経済的DV 社会的DV 精神的DV すべてです。

旦那さんをやんわりと落ち着かせる方法はありません。あなたはDV専門機関からの介入や支援が必要なレベルです。市町村の相談窓口、配偶者暴力相談支援センター 警察など相談を受け付けてくれるところに相談してください。

できればここでの相談を含め、パソコンでの検索履歴はご主人にはわからないように履歴を消すなどしてください。痣や暴力がわかる部屋の乱れがあれば写真にとるなど証拠を残してください(見つからないようにできれば) 逃げるときに絶対もっていきたい大切なものをまとめて、当面必要なお金は現金にしておいてください(隠しておく) いままでの経過を説明できるように整理してください。

そして近くの交番でも区役所でもいいので相談にいってください。これはDVです。首を絞められいるのではあれば、もう逃げなくてはいけません。

うまくいくように応援しています。頑張って! 仙如

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有り難し
おきもち

お釈迦様の教えと瞑想法は苦悩の多いこの世を生きるための「船」のようなものです。 人生には穏やかな波の日もあれば嵐のような日もあります。 どんなときでもお釈迦様の言葉を探すと必要な答えを見つけだすことができます たとえ嵐の日であっても波に飲まれないように「お釈迦様の船」に乗って心静かに瞑想しながら船旅を続けるのが仏教徒の生き方です わたくし≪仙如≫も 抵抗して、もがいてもがいて溺れかけて そんなことがようやくわかってきたところです(まだ溺れそうになることもありますけど!) 苦しいときはもがくのをやめて力を抜いてみてください・・・からだは水に浮かんできます。 そして瞑想してこころを静めましょう。そうすれば自分のこころの中に答えがみつかります。お釈迦様は最期に「自分自身をよりどころにしなさい」とおしゃいました。 諦めないで絶望しないで自分を信じて生きていきましょう。

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