何故、言い訳は嫌われるのですか?
お世話になっております。
柴田秋です。
どうやら言い訳は嫌われることがあるらしいです。
私は改善に役立つと思うのですが。
入社してからですが、とある課題解決方法を教育されたことがあります。
原因をチームで(人的、環境的、時間的などの)要因ごとに分類し、意見を出し合うというものです。
かなり大雑把な省略をしています。
相手の意見を否定しないなど、色々ルールはあるのですが、とあるタイミングで、一人でそれをやってみるように指示されたこともあります。
原因追求はやはり重要と思います。
原因追求のスタイルは様々ですが、その過程や結論を説明、疑問の投げかけをしようとすると「言い訳」と言われて、嫌われることがあるらしいです。
実は大人になってから具体的に言い訳を指摘された記憶はほとんどありません。
子供の頃には、たくさんそれで怒られました。
何故、それが嫌われるかが疑問です。
余談ですが「説明しろ」→「言い訳するな」のコンボは有名と思いますが、不条理を感じます。
ダブルバインドと思います。
というのは、とあるSNSで「失敗の理由説明を言い訳として怒るだけで原因追求しなのは、失敗に対して日本企業は謝罪はするが、原因の追求と次回の対策を『頑張る』としかしないのに似ている。」と話題に挙げていた方がいたので、私も気になったところで質問させていただきます。
何故、言い訳は嫌われるのですか?
SEです。 父、母、姉がいます。 男性らしさや女性らしさを強要されることが嫌なトランスジェンダーです。 発達障害者です。 宗教全体に忌避観念を持っています。 ただし、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教をパロディとして信仰し、パスタファリアンとなりました。 先日、按手証明書をいただきました。 他、科学的方法、特に数学を信仰しています。 嘘やごまかしが苦手で慇懃無礼に感じる方もいるかもしれませんが、質問は真剣な悩み故です。 怒ることには疲れているので、最近は怒ることは稀です。 酒、煙草、コーヒーが大好きです。 自由に生きたいです。
自らを由としないことに耐えかねています。 らしさを強要されるとストレスです。 考えの転換が難しいです。 嘘に抵抗があり、故に損をし易い気がします。 曖昧さに不安感を感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人事になっているからでは?
言い訳が嫌われるのは、主体がなく、他人事にしか聞こえないからではないですか?
原因究明は大切なことだと思いますが、その際に「外的要因」だけでなく、その要因に対して「自分はどう動いたか」ということがなければ、追求も対策も生まれないように思います。
怒りを受けとめていないと思われるからかも
嫌うというのは、怒りがあるということです。
失敗した人を叱る人は、すでに失敗した人に対する怒りがあります。
叱る人は、その怒りを叱られる相手に真っ正面から受けとめて欲しいのではないでしょうか。
言い訳をすると、「怒られたくない」と責任逃れをしているように思われるのかもしれません。
反省(失敗の原因を分析すること)は後でもできます。
まずは、自分が失敗してしまったことで迷惑を被った相手の怒りを黙って受け入れることが大事なのかもしれません。
怒られることと、反省することを、一回で済ませてしまおうと焦ると、その場ですぐに原因を説明したくなりますが、二回に分けてやればどうでしょうか。
言い訳とは何か
、という話だと思います。
「言い訳」であるというのが、それが「責任転嫁である」と認定されたからでしょうね。実際に起きた事に対して説明する場合、どうしてもかいつまんで話しますね。その「かいつまみ方」が。
「なぜ遅刻したのか」に対して
「電車が遅延したからです」これは転嫁ではありません。
「なぜ遅刻したのか」
「出かける直前に家族から相談され、それを振り切らなかったからです」これはグレーですね。つまり、相談内容によっては転嫁と認定されない可能性はあると思います。
「なぜ遅刻したのか」
「今日は急ぐと事故に遭いやすい、という夢のお告げがあったのです」これは多分アウトでしょう。
しかしね、問い掛けが次のものなら、いずれも「言い訳に過ぎない」認定でしょうね。
「なぜ、遅れそうな事を連絡しなかったのか」
つまり、「貴女ができたであろう事」をしなかった、については何と言っても言い訳認定されそうです。
あとは…既出ですが、
「理由を説明せよ」という言葉が、文字通り「原因を話せ」という意味の時と、「俺は怒っている、迷惑かけられたと感じている」=謝れ、というメッセージであることがあります。後者であれば、いくら説明してもストライクにはなりません。これが、貴女のいう「コンボ」でしょう。
恐らく幼少の頃から、「話してごらん、お母さん怒らないから」と言われて正直に話し、怒られる…という先行体験から学ぶ人が多いのだろうと思います。
ということで、「言い訳」という一括りで考えない方が、腑に落ちる結果に繋がると考えます。
質問者からのお礼
>怒りを受けとめていないと思われるからかも
願誉浄史様ご回答ありがとうございます。
言い訳か否かを判断するのは説明の受け手ですし、その通りかもしれませんね。
つまり、受け手が感情優位になっているときの説明が言い訳なのだと思いました。
>他人事になっているからでは?
指月様、ご回答ありがとうございます。
幼少時のおぼろげな記憶をたどると、必要条件でも十分条件でもないような気がします。
>言い訳とは何か
佐藤良文様、ご回答ありがとうございます。
そういえば、質問の内容がいつの間にかすり替わっていて言い訳扱いされたこともある気がする…あるいは自分の経験ではなくて何かの創作中でそういう話があったのかもしれませんが、そういう場合など、同しようもないと感じることもありますね。
今は「言い訳」扱いの状況を感じることがなくて、助かっています。