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他の人の喜びをともに喜ぶことができません

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有り難し有り難し 16

私自身ではどうしようもできない家族の問題が何ヶ月も続き、私の負担が非常に大きかったため、私自身が落ち込み、鬱になってしまいました。
よい精神科の先生と巡り会うことができ、健康上の問題はゆっくりではありますが、回復の傾向にあります。

ただ、そんな辛いことがあるからか、友達や周りの人の幸せなことやよかったことを聞くと「よかったね」よりも「どうして私はそんな幸せになれないんだろう」と最近は思ってしまうことが辛いです。
もちろん、口に出すことはありませんが、こんなこと思ってしまう自分にショックです。

今まではそんな思いを抱いたこともなく、他の人の幸せは素直によかったね、と一緒に言えていたのにと思うと、更に辛くなります。

どうしたら他の人のよかったことを素直によかったと思えるようになるでしょうか。
家族の問題や鬱が治ってからでないと無理なのだとしたら辛いなぁと思います。

2015年8月8日 21:06

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心のスマホの壁紙を外すべし

人間は本当に脱力した時、全ての物事と一体になって融合した感覚になり、笑うのです。
これを氷の微笑ならぬ、仏の微笑(みしょう)と言います。
何もはからいが無いからです。何もかまえ事も蔑みも引け目もないからです。
PCやスマホの待ち受け画面でも、壁紙があまりにもゴテゴテしていると、見づらいでしょう。
タイトルのスマホの壁紙を外す、というのは、勿論自分自身の心の中で握っているものです。
「自分は鬱だ」という待ち受け画面の壁紙なんか捨ててしまいましょう。
壁紙って、それが待ち受け画面にある為に、邪魔に映る時もあります。変な待ち受け画面だったら誰かに見られたら恥ずかしいでしょう。
また、その壁紙がある故に、最初にそれが視界や脳に取り込まれます。
「私は鬱だ」という待ち受け画面の壁紙を無くしてみましょう。
仏の悟りの心の壁紙とは、何も無い。壁紙すらない無い心です。
ホトケっぽい心すら握っていないのが悟りの心なのです。
心のホーム画面に「自分は〇〇だから」と、いつも何か壁紙が張ってあるような人ほど、それに縛られるものです。
一旦引っぺがしてください。
鬱だからって、四六時中「自分はウツだから」なんて壁紙は貼っておかなくていいんです。
それを貼っているから、どこかに引け目がある。
常に人の視線を気にする、人の評価を恐れるのです。
その結果、他人さまのことを純粋に感じられないのです。
こころの壁紙(握っている事、一念)を外せば、何でも心は感受できるものです。
壁紙という❝自分認定意識❞が無くなるから、誰とでも和せるようになるのです。(^

2015年8月9日 0:58
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

思っちゃったんだからしょうがない。

コーギーのしっぽさん。
可愛らしい名前ですね。

きっと、真面目で優しい人なのだと思います。
だから、冷たい気持ちが少し浮かんでしまうだけでも、
自己嫌悪に陥ってしまうのでしょう。

最近、「グリーフ」に関する講習を受ける機会がありました。
「グリーフ」とは、単純に訳すと「喪失の悲嘆」。
何かを失い、悲しんでいる人への接し方などの勉強です。

そこで学んだことは、「グリーフ」とは、
家族や、親しい人を失った方だけではなく、
他のことでも生まれてくる感情だということです。

たとえば、引っ越しをする際。
愛着のある部屋や、馴染みの店などと別れ、新しい場所へ旅立ちます。
その時に感じる「名残惜しさ」「ちょっとしたさびしさ」など、
それもまた、グリーフなのです。

コーギーさん(略します)の感じている、人を羨んでいる気持ちも、ひょっとしたら、
「本来であれば、自分が体験していてもおかしくない」ことを、
他人が行っていることに対して、「失った」と感じているのかもしれません。

そして、「グリーフ」の講習で、もうひとつ学んだことは、
「その感情は、感じて当たり前」だということです。

親などの介護を長年行っていて、ついに亡くなってしまった時。
亡くなってしまった悲しさよりも先に、
「もう介護しなくていいんだ」と、どこかほっとした感情が生まれてしまい、
苦しんでいる方もいらっしゃるというお話がありました。

その感情は、至極当たり前のことなのです。
その感情が生まれてしまったことについて、
悩みすぎてしまう必要はありません。

「どうして私はそんな幸せになれないんだろう」という気持ちも、
思ってしまって当たり前なのです。

仏教とは、人がどれだけ悩みを減らし、
幸せに過ごすことができるかどうか、
ということを追い求めた学問だと思っています。

ですから、「もう介護をしなくても済むんだ」と、ほっとすることも、
人の幸せを見て羨み、妬んでしまうことも、
無理やり、気持ちを押し込んでしまう必要はないのです。

真面目に、真正面からその気持ちに向き合いすぎず、
「思っちゃったんだからしょうがない」くらいの気持ちで、
少し「いいかげん(良い加減)」に過ごしてみてください。

2015年8月9日 10:38
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有り難し
おきもち

佐山拓郎
目黒・五百羅漢寺の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間...

質問者からのお礼

安穏寺 (天岑寺) 丹下 覚元様
ありがとうございます。
スマホの壁紙のお話、とてもわかりやすかったです。
その話を私なりに解釈したら、私のスマホはきっとすごくごちゃごちゃした壁紙にしてるから、他の人の幸せアプリのアイコンよりも壁紙に目移りしてしまってる状態かなと思いました。
ひとまずは心の中のごちゃごちゃした壁紙をやめるところから始めてみたいと思います。

天恩山 五百羅漢寺 佐山拓郎様
ありがとうございます。
これは冷たい気持ちで、だから自己嫌悪を抱いてるのですね。
そう言葉にしていただけて、どうして自分がこんな気持ちになるのかわかった気がしました。
グリーフのことは初めて知ったのですが、今の私にはとてもしっくり来ました。
「いいかげん」になれるように努力…というのもおかしな話ですが、いいかげんっていいなって思いました。目指します!だと全然いいかげんじゃない気がするので、いいなって思う程度にしておくことにします。

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