hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

グルグルするネガテイブな感情

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

仕事ができないこと、他人にばかにされることを恐れて友人ができないこと、仕事だけではなくとてもトロいこと、優柔不断で嘘をついたりお世話になった人を裏切ったりしてしまうこと、ときどき死にたくなること、でも死んだらみんなが可哀想と思ってくれるんじゃないかと思っている自分を冷静にみるととても気持ち悪いこと
そんなことが10年くらい頭のなかでグルグルしていて、仕事中も涙が出てきてしまいます。このグルグルで随分時間を無駄にしたように思います。解決できることがあるならさっさと解決して、もし全部諦めなければならないなら諦めたいのです。特に死ぬことを考えているときは、自己嫌悪がピークになっていて、ドキドキして肉体的に自分を傷つけたい欲求に駆られます。でもどうせ死に切れないことを心の中で分かっていて、傷が残って人に変に思われることを恐れて結局布団に倒れているだけです。でも苦しいのは苦しいのです。もういやだこんなこと考えたくないよと思います。どうすればいいでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩即菩提

大嫌いな自分なのになぜか守ってしまう。他人から傷つけられまいと自己防衛しつつも「変わりたい変わりたい…」、そんなガチガチに自分を固めてたら変われるはずもないのに、変わりたい変わりたい…と。
コップにたぷたぷに水がすでに入っているのに、「ジュースがほしい」と言ってる感じですね。水は嫌いなんだけど、コップは傾けたくない、誰にも触らせたくない。完全に矛盾してるんですけど、できないんですよね。

ですが仏教ではそんなまりさんも「仏」なんです。煩悩まみれの凡夫が、そのまま仏なんです。よし出発しようと踏み出した場所、そこがすでに目的地なんです。

というのも、まりさんを苦しめてるのは「我」です。ですが仏教では「無我」です。それはほんとは私でないのです。我とは思考です。思考とは、ものごとを好き嫌い、良い悪い、優れてる劣ってるなど二つに別けて判断し解釈する働きです。思考と私は同じではないです。この違い大事です。思考は私自身ではない。

思考が私自身だと思うから、自分の思考に抵抗したり執着したりします。思考が作り出した「ネガティブ私像」を握りしめて、それを私だと思って大事にしながらも、それによって苦しめられているのだと思います。

考える癖をやめる。考えるのをあきらめる。考える方向には答えがないなと断念する。
頭の中以外は、すべて「そのまんま」です。頭はすぐに解釈していろいろ価値をつけたがりますが、頭以外はそれとは関係なく、ただ存在してるだけです。山も川も木々も、私の身体も。だだそうあるだけ。

「ただある」ことが大の苦手な頭ですが、事実から学びましょう。体もただこのようにあるだけです。体から学びましょう。

決して今の自分を嫌がることなく、べつのどこかにもっとよい自分を求めることなく、今のここの事実に気付きましょう。すべてここにそろってます。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

若輩者ですが、宜しくお願い致します。
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。

判断して良い悪いを決めているのは私ではなく私の頭なのですね。

人よりできないことを発見するたびに落ち込んで、人に何か自慢されたと思ってしまうたびに人を妬んでしまうと思いますが、そうして落ち込んだり妬んだりするのは私ではないと言い聞かせていくしかないのかなと思いました。

過去のできなかった私や他人より劣っていると実感した出来事を事あるごとに芋づる式に思い起こし、関連づけてできない私像やネガティブな私像を自ら強化して落ち込むのはやめられたらいいなと思います。

ただ他人と会って話しをしたり仕事したりするとまた比較がはじまって自分の劣っているところに注意がいってしまうので、そういう風に考えないようにすることが今後の課題だなと思いました。

貴重なアドバイスありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ