執着心と期待
いつもご丁寧な回答ありがとうございます。今回も質問させて頂きます。長文、乱文失礼いたします。
私は、アルバイト先で良くしてくれる人同い年の先輩に恩を感じ、好意を持っていました。
沢山いるバイトの中、その方は忙しいのに、末端の私に少しでも気を遣ってくれたり、優しくしてくださった気持ちが嬉しかったからです。
私のアルバイトが最後の日に、私はその方と話す機会があり、
向こうから、就活の試験に合格したら、報告してね、2人で祝杯をあげようと言われ、とても嬉しくて、笑顔で応じたのですが、
向こうから、受かったらまず雇主に報告して、そしたらその人伝いで連絡してもらうからと一方的に言われました。
私は、戸惑い、二度手間なので直接教えてください。と言おうと思いましたが、
アルバイト中だったこと、向こうに相手がいるかもしれないと思い、自分から連絡先を教えてくださいと言えず、
結局、連絡先を知らないまま、その方とお別れしてしまいました。
(それぞれ帰る時間や休憩時間もバラバラで、バイト以外では聞けませんでした。)
お世辞だったんだろうな、
私に恋愛経験がないから、真に受けてしまったのかな、
と考えましたが、
なんで私がお酒が飲めないことを知っているのに何故飲みに行こうと誘ったの?
お世辞なら、社員の人を通してって言わなければいいのでは?とモヤモヤしてしまいました。
けれど、気になっているので、もし、今度会うことがあれば自分から素直に連絡先を聞こうと思っています。
しかし、普段はキャンパスが違うため会うこともほとんど有りません。住んでいるところも離れています。
しかし最近、これ以上彼に執着したり、また会えると期待するのはもう辞めた方がいいと思い始めています。
ご縁があるなら、また会えるはずだと思っていますが、いつまでも執着していると目の前の幸せを忘れてしまいそうだからです。
この執着心と期待を消すためには、どうすれば良いでしょうか?また、ご縁があれば、また会うことはあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
執着は苦しみの元です、が。
こんばんは。いつもピュアな質問を読ませていただいておりました。何方もそうですが、幸せになっていただきたいなーと、率直に思います。
さて、貴女はとても賢く、知恵がありますね。彼に対しての期待感は、恐らく執着となって、いま貴女を悩ませているのだと思います。ですから、お考えは正しい。仏教の基本的考えからすれば、「煩悩をそれと気づき、気付くことで捨てていけ」と説くことになります。彼への期待感がフッと湧き上がったら、「ああ、これは煩悩。この気分が私を苦しめる」と思って、心をシフトさせるために行動を変えます。瞑想とかお念仏称えるとか。そして、勉強なり就活なり、貴女が「すべきこと」に向き直る…。
けれどね、そう言った「仏教的生活態度」は、もっと人生経験を積んでからでも良いのですよ?
お釈迦様も王族の生まれで、20代までは豪勢な暮らしをしておられました。王子様ですから。私は、そんな「仏教を知らない」生活があったからこそ、お悟りにたどり着いたのではないかと思っています。
なのでね、「貴女も娑婆にどっぷり浸かった生活を、もう少しやってみては.?」と言いたいのです。仏教を「転ばぬ先の杖」にするのは構いませんが、「転んで、痛みを知った上で使う」方が信頼の置けるものになると思います。
だからね、待ち伏せでもして彼の連絡先をゲット、狙ってみては如何ですか?キャンバスとかバイト先とか、彼の現れる場所は、いくつか知っているんでしょう?ストレートにバイト先に聞いてみるのは恥ずかしいですか?できる限り、足掻いてみなくて良いのですか?
質問者からのお礼
佐藤様
返信ありがとうございます。
前回、前々回と質問を見ていただいたのですね。気に掛けて頂き、ありがとうございます。
私は佐藤様に幸せを願ってもらえただけで、もう充分幸せ者だと思います。
行動するのもしないのも自分次第、もう少し足掻いてみようと思います。