私ができないことをできる人への嫉妬回答受付中
最近、「自分ができないことをできる人への嫉妬」を感じてしまうことがあります。
たとえばピアノについてです。
私は子どもの頃に「ピアノを習いたい」と親に伝えましたが、経済的な理由で諦めざるを得ませんでした。
そのため、大人になるまでずっと「ピアノは仕方なくできなかったもの」と自分の中で整理してきました。
ところが、同期の一人が同じような理由で子どもの頃にピアノを習えなかったにもかかわらず、社会人になってから自分でレッスンに通い始めたと知りました。
そのとき、「私がピアノをできない理由は、昔の環境だけではなく、自分自身の熱意が足りなかっただけなのかもしれない」と気づき、モヤモヤした気持ちが湧き上がってきました。
かと言って、今からお金と時間を使ってピアノに打ち込みたいという熱意もありません。現時点で英会話、ジムに通っており、習い事を増やす時間が無いのも大きな理由ではありますが、それすら自分への言い訳なんだろうなと思います。
2週に1度くらいの頻度であれば何とか通えるんだろうなと思うので、本当にピアノがしたいのであれば通えるはずだからです。
自分ができなかったことを行動して叶えている人を見ると、どうしても嫉妬や劣等感を抱いてしまいます。
この気持ちとどのように向き合えばよいのか、アドバイスをいただけたら嬉しいです。
話の中心になっている人に嫉妬する。
お坊さんからの回答 1件
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煩悩は誰にでもある
仏教では、煩悩が悩み苦しみストレスの原因になると考えます。
嫉妬も煩悩の一種でしょう。
そのような煩悩は誰にでもあるのです。
仏陀や阿羅漢と呼ばれる、無常・苦・無我の真理を悟った方々は煩悩がなくなりますが、悟っていない私達には煩悩があるのが普通です。
なので、まずは嫉妬してしまう自分の現実を「悟っていないから仕方ない」と受け入れて許してあげましょう。
そして、悟っていない人でも日常生活の悩み苦しみストレスを軽減する方法があります。
嫉妬を誘発するような妄想雑念を素早く停止すること、同じ情報の中で思考の堂々巡りに陥らないことです。
例えば瞑想とか念仏をやってみる。
数秒前まで、意識が過去や未来や自分や他人に関する妄想雑念に支配されていたとしても、意識を瞑想や念仏に集中させれば、それが妄想雑念の停止スイッチになるのです。
歌を口ずさむとか、ジョギングとかでも良いです。
鼻水が出れば鼻をかめば良いように、嫉妬が出れば瞑想等をすれば良いだけ。
心は無常であり、思考や感情は瞬間瞬間に浮かんでは消えて変化していますので、嫉妬め必ず中断・停止できる無常なものだと意識してみましょう。
顔が汚れれば洗えば良い。心が汚れてもその都度掃除(切り替え)すれば良いのです。


