カッとなってしまう自分が怖い
新生児の赤ちゃんを育てています。
しかし自分に育児などできるのか、赤ちゃんを殺してしまうのではととても不安です。
昔ペットのラットが足に噛み付いてくるので、イライラして、躾ようと思いとラットが噛み付いたときに足で床を叩いてビックリさせたら怖がって噛みつかなくなるだろうと思い、何度かやっていたのですが、足を上げたときラットがちょうど足の下に来てしまい、ラットを下敷きにして殺してしまうことがありました、自分のとても衝動的で軽率な行動で殺してしまい、今でもそのときの事をリアルに思いだしては自分がとても怖くなります。
今回は珍しく赤ちゃんが大泣きしてしまい、ようやく泣き止んだところに、私のお母さんが来て言われた一言に、異常にイライラしてしまい赤ちゃんのすぐ横で衝動的に拳で床を叩いてしまいました、叩いた後すぐになんて危ない恐ろしいことをしたのだろうと、自分がとてもこわくなりました、殺してしまったラットのことを思い出しました。
赤ちゃんはまだ新生児で寝返りがうてないとはいえ、万が一赤ちゃんに拳があたっていたら、とても危ない事をしてしまったと思い、またイライラしたら同じような事をしてしまうのではと、、、もう自分がこわくてしかたありません、
このような性格はもう治せないでしょうか?
本当に自分が恐ろしく苦しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず、ご自身が自由にのびのびと生きて下さい。
ラットちゃんの事は不幸な事でしたね。
躾とはいえ、死なせてしまうなど考えてもいなかったでしょう。
また、ご自身のお子様に向けられた怒りの感情も、尋常ではありません。
でも、一番傷つかれているのはあなたです。
あなたは、今まで真面目に生きてきたのではないでしょうか?
自分を押し殺し、周囲に同調することで、自分の居場所を確保してきた。
しかし、そこには何の充実感も得られなかったし、自分らしさを完全に奪われていた。
逆に自由に立ち回っている人のほうが得しているように見えたりして。
恐らく、あなたは他者に対し従順に生きてきたのだと私は感じました。
だから、注意しても警告の表現で脅かしても、従順にならないラットちゃんに怒りを通り越し、ご自身の人生を否定されたように感じられたのではないでしょうか?
ご自身の赤ちゃんの場合も、理屈では理解しているはずなのに、体が反応していた。
あなたは、「何がしたいのか」もう一度原点に立ち返り考えてみられてはいかがでしょうか。
どちらのケースもあなたの望み通りの結果ではなかったはず。
ご自身をもっと、自由に表現して、生きていかれてもいいのではと、私は思います。
そのことにより、お子様を自由にのびのびとした「人間」に育てていけば、道は開けるのではないでしょうか。
客観的に考えて下さい。
自分を押し込め、誰にも笑わないお子さんより、のびのびと自由にしているお子さんの方が、子供らしくないですか?