結婚と人生
よく「結婚や恋愛するなら優しい人」とか、「気遣い出来る人」とか「料理がうまい人」
とか、世間では言いますが、
私はああいう言葉が、何だか結局のところ「自己中」に思えてしまうのです。
どういう事かと言うと、例えば一般的に、
「優しい人がいい、気遣い出来る、料理がうまい人」など、
考えてみたら、全部『その条件を言っている人にとって、自分にとって都合のいい人、
自分にとって居心地のいい、自分がラク出来る人がいい』と言っているようにしか、
聞こえないんです。
他にも一般的に、『収入が高収入だから』とか、結局それも、そう言っている人にとって、
都合がいいから、裕福な暮らしが出来るからという、打算を感じる。
性格も、一般でよく言われるのが、「外見より中身がいい人がいい」
というのも、これも、どうも私にとっては、一番まともな答えに見せかけた、
実は一番計算高い答えのように思えるんです。
そう答えておけば、自分は『人間として、いい人に見られる. 出来た人に見られて、
自分の株が上がる』
『その上、中身がいい人は多分、自分の事を、将来的に、精神的にラクをさせてくれそう』という、
二重のメリットがある、だからそう答えるという、やはり打算を感じる。
私はバツイチですが、当時、旦那に私の、『優しい所が好き』と言われました。
でも今だから言いますが、正直、それは優しいのではなく、
単に自分に自信がなく、
卑屈とある種の諦めの気持ちから、無理な事でも一生懸命やって来ただけ。
自分には価値がないのを分かっていたから。
旦那が私の名前でカードを作ってお金を借りても、必死で返して来たし、
生活費を入れてくれなくても、無理して何事もなかったかのように、
数年間、表面上はニコニコしながら何も言えなかったです。
私は「この人の為の苦労は苦労だと思わないのが結婚」と思ってましたが、甘かった。
金銭的にキツくなって離婚してしまった私も結局は「偽善者」になってしまった。
恋愛とか、夫婦とか、結婚って何ですか?人生って何ですか。
虚しいです。
世の中が打算だらけに感じて虚しい。生きる意味が分からない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の信じた道を進んで行く
人間とは生まれながらに自己中心的なものです。赤ん坊を見てもわかります。自分が生きるために一生懸命おっぱいを探し飲み続けます。お腹が空いたり、おしめがぬれたりなど自分の気に入らないことがあると泣き、心地よいときは騒ぎません。
他人のために自分の食べ物を分け与えていたら、命がいくつあっても足りません。ボランティアも、自分の生活が成り立つ上でなければ活動出来ません。すべてのことが、自分のいのちがあって出来ることです。
そういうことを理解していたとしても、自分の出来る範囲で役に立ちたいと思うのが人間です。普段自分勝手なことばかりしているからこそ、せめて少しでも世間にお返ししたいと思っているのです。それが自分の生き甲斐になっておられる人もあります。
見返りを求めない一方通行の行いであれば、他人から偽善者と思われようといいではありませんか。
一度しかない人生です。他人の評価で生きるのではなく、自分の信じた道を進んで行きたいものです。
自然から学ぶ
拝読させていただきました。
なによりも自分自身を拠り所にしなければいけないと思います。
「よく調えられし自己を拠り所としなさい」とお釈迦様がおっしゃっておられますが、調和のとれた私、をまず実感することが必要です。
調和とは身心一如です。身と心で私です。何かに悩んでいるときは大抵「身」を忘れていることが多いです。頭だけで考えて、思い込んで、それで結論をだしてしまっている。
「私が」が主張してくると調和がみだれます。体の働き、生命の働き、自然の働きを忘れるからです。自分は変わらずに、周りを自分の思いの通りに変えようとする。結局自分の好き嫌い、損得の話になってしまう。そんな調和のとれていない私、なんでも分別する私の思いを中心にして拠り所にしているので、いざとなったときに全く頼りになりません。
夫婦とは?結婚とは?人生とは?
私個人としてはその答えはなんだって良いとおもいますし、答えはないのかなとおもいます。
俺が俺がと自分を主張するより、調和の中に自分があるんだなと繋がりを感じていけるといいなと思います。自分の思いを濃くしていくよりも、自分の思いを薄めていく方が周りと繋がれていいですよね。
思わなくても働いているこの体。心臓はじめあらゆる臓器、呼吸の働き。この自然に目を向けて、自然から学んでいきたいですね(^^)
質問者からのお礼
他人の評価(世間体的なもの)の目から見て自分は どうなのかという事を、
気にしている自分、これは確かにあります。
物事を突き詰めて、追い詰めて考え過ぎていた自分がいましたので、
相談させて頂き、回答頂き、少し気持ちが楽になりました。
自分の信じた道を進んで行きたい、私もそう思います。
ありがとうございます。
そして離婚後以降、心理学の本を貪るように読み漁っていて、
少し(かなり?) 物事を頭だけで考え、結論を出してしまっていて、
凝り固まった考えの自分になっていました。
『心身一如』 忘れてました。もう一度、心を改めて出直して来ようと思います。
柔軟に考えようと思います。ありがとうございました。