回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
たいへん苦労されましたね。
過去の質問も拝読しました。
あなたは、子供のころから自分をしまい込んでいました。
恐らく、自分を「犠牲」にすることによって、周囲との関係を維持してこられたのでしょう。
たいへん頑張ってこられたのですね。
しかしそれは、偽りの自分だったのです。
しかもそれが大人になった今も続いている・・・・
tomoさんは今、過去の自分を否定的に捉えないと生きれないのです。
何でこんなに生きにくかったのだろう。何で嫌な思いをしてきたのだろう。
それは、過去の自分がダメだったから。
もし過去の自分がダメじゃないのなら、自分に欠陥があるはずだ。
だから、過去の自分はダメでなければならない。
そのような思考から、人が何の気なしに発言した一言に過剰に反応されるのではないでしょうか。
もっと気遣って欲しいと。
言いたくてもガマンくらい出来るだろうと。
あなたは、自分を抑えて生きてこられました。
それが正しい生き方だと信じて。
その結果得たものはありましたか?
tomoさんは、余計に生きづらくなっているだけではないかと私は思います。
「抑えてしまうのは、クセなので仕方ない」「でも、抑えなくても人はそんなに自分の事を悪く思わない」
少しでも思考を変えていただければ楽になると私は思います。
「消えてなくなりたい」と考えられているのは、ご自身の意志だと思われているのでしょうが......
これは、周囲の人のためにあなたは消えようとされているのです。
なにかもったいなくないですか?
人よりも生きづらい人生を歩んで来られたあなたは立派なのですから。
受くること難きものは人身なり
tomo様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
生きる必要性・・
「これです」と決定して言えるものは実体としてありませんが、因縁(原因と条件)により見い出されてくるものとなります。
もし、どうしても何も見い出せないようでしたら、稀有貴重なる人身こそ、仏法を学び修せられる絶好の機会でもあるだけに、是非、仏法を求めることにその必要性を見い出さられて頂けましたら、大変に有り難いことでございます。
「嗚呼、其れ得ること難く、受くること難きものは人身なり、逢うこと希に、聞くこと希なるものは仏法なり。今既に受け、今既に聞くと雖も、空しく夢幻の名利を慕い、苦聚の悪種に懲せられず、茫々として終に再び嶮難三途の旧里に帰せんこと、寔に惜しむ可し、寔に悲しむ可し。其の信と不信とは、纔かに一念子にして霄壤趣き異に、昇降途杳なり。」白隠禅師
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
海老原学善様、川口英俊様ご回答いただきありがとうございます。
海老原学善様
回答を読み、涙が出ました。
どう言葉で表現すれば良いのか分からず、短くなってしまいますが、存在を認めてもらえたような気がしました。
思考を変える努力をしてみます。
以前にも温かいお言葉をいただきました。
ありがとうございました。
川口英俊様
生きる必要性、難しいことを聞いてしまいすみません。
原因と条件を
仏法を学ぶことは私には無縁だと思っていました。
でも、仏法を学ぶという選択があるのですね。
学ぶことも視野にいれ、生きる意味を見つけようと思います。
川口英俊様への回答で、一文抜けてしまいました。
すみません
原因と条件から見出されるとは、原因を見つけることで分かるということですよね?
原因と向き合ってみます。