気にしすぎる自分が嫌です
気にしないようにしても、周りに自分がどう思われているのか考えすぎてしまい人と合うのも苦痛になってきています。
子供の同級生のママなどどうしても顔を合わせないといけない時もあり
細かい事を気にせず、周りにどう思われているのか気にせずに居られる性格になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ありのままでいいのです。ありのまましかないのです。
「人の悩みはすべて対人関係の悩みである」とは心理学者アドラーの言葉ですが、
他人からどう思われているかというのは私達の心を悩ませますよね。
かくいう私もよく同じ悩みで心を苦しめることがあります。
その度に自分に言い聞かせるのは、表題にさせていただいた言葉です。
自分自身が思い描く「あるべき自分」「こうありたい自分」と「実際の自分」「ありのままの自分自身」の差が大きければ大きいほどこの悩み、苦しみは大きくなります。
この苦しみを取り除く唯一の方法は「ありのままの自分」を認めて受け入れてあげることです。
他人に好かれるためにいくら虚像のような繕った自分を作っても、本当のあなたの姿はひとつだけなのです。
子どもの同級生のママよりも、ありのままのあなたを愛し好きでいてくれる人たちに目を向けてみてください。
ありのままのあなたでいいのです。
ありのままのあなたしかいないのだから。
その事によって何かしらのメリットがあるはずです。
ふーちゃん様
こんにちは。拝見させていただきました。
気にしないように、考えすぎないようにと考えれば考えるほど逆に気になってしまう。こんな性格をなんとかしたいとのこと。相手の顔色をうかがいながら生活するのは疲れちゃいますよね。お子さんの事を考えたら付き合わないわけにはいかないし・・。
まず、人の目を気にするのは「自然な事」です。ふーちゃんさんは「わかってるけど気にしすぎるからなんだよ」と思うかもしれませんが。まず「それは自然な事」を声に出して自分の耳に聞かせてあげて欲しいのです。なぜなら身体は気にしようとしているものを自我で押さえ込んでいるからです。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態なのです。
人の目を気にしすぎる時の「目」とは他人の目ではなく「自分の心の目」です。自分を評価する目です。例えば「駄目な自分だ」という目です。こういう場合によくあるのは仏様にお願いして「自信のある自分(変わる)になる」事だと勘違いする人がいますが、仏様と教えは「自信のある自分である必要(変える必要)がなくなる」事です。自信が無いから苦しいのではなく、自信を持たなければならないという「考え方(変えよう)」が自分を苦しめているのです。
生活習慣病ってありますよね。身体だけではなく思考も生活習慣病があります。考えの癖ですね。その癖をまず発見するために自分を観察してください。自分は他人をどう見ているか。評価で見ていませんか?他人をどう見ているかが自分をどう見ているかです。どんな時に嫌な感じがしてどんな時に楽な感じがするのか。
それからどうするか。「気にする」のを身体からのメッセージだと「仮定」してよくよく聞いてみてください。責める聞き方ではなく、そういう気持ちが起こってくる元を深めるのです。気にすることによって求めている願い、気持ちが奥底にあると思います。例えば母親に認めてもらえなかった。話を聞いて欲しいのに受け入れてくれなかった。空気を読んで気持ちを我慢して押し殺したなどです。成仏できていない「私」がいるはずです。
応援しております。合掌
質問者からのお礼
法源寺 横山様
ご回答ありがとうございます。
「ありのままのあなたでいい」
「ありのままのあなたしかいないのだから」という言葉に本当に考えさせられ、心に響きました。
私のありのままを受け入れ支えてくれる人に目を向けて、アドバイスしてくださったことばを胸に刻みこれから生活していきたいと思います。本当にありがとうございました。
けんじゅ様
ご回答ありがとうございます。
「自信を持たなければならないという考え方が自分を苦しめている」
本当にその通りだと改めて実感しました。
自分自信の気持ちと向き合い、考え方の癖を発見していき
自分を苦しめずに前向きに生活していきたいです。
お二方とも親身になってご回答してくださいまして、本当にありがとうございました。