阿弥陀様以外の仏様を拝むと極楽往生できなくなるのでしょうか?
私は浄土宗の檀家です。
お仏壇も阿弥陀様を主役におまつりし、毎日「阿弥陀経」を読誦し、発願文を読み、お念仏を100回唱えております。
しかしお不動様と大黒様も大好きで、阿弥陀様とは別に個人的な持念仏として、毎日勤行しております。
浄土宗のお寺にもお不動様をお祀りしている寺院もあること、個人的に尊敬している祐天上人がお不動さんと縁のある方であったこと。
またお不動さんを開眼してくださった密教系のお寺でも「阿弥陀様と共に信仰しても構わない」とアドバイスをいただいたことから、問題無いと考えていたのですが・・・
しかし法然上人のご著書を読んだところ、専修念仏では雑修(お念仏以外の仏道修行)は行わない方が良いと書かれていました。
阿弥陀様以外の仏様に浮気をする雑修は、往生の妨げになると。
(真宗では特に厳しく、阿弥陀様以外の仏様は、原則祀らないと聞いております)
しかし家の菩提寺の浄土宗のお寺では、お地蔵様や聖観音様、馬頭明王様も祀られています。
(菩提寺とは遠方に住んでおり、ご住職とはほとんどお話しできません)
浄土宗は、本当のところ、雑修をどう考えておられるのでしょうか?
ご意見をいただけましたら、幸いです。
物欲。ひたすら物欲。 余計な好奇心。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
往生の助けとなれば
拝読させて頂きました。大変ご熱心に学んでおられること読ませて頂きました。あなたのおっしゃる思いに至ることは至極当然ですね。
法然上人はお念仏を選択してただただひたすらにお念仏おとなえすることを何よりとなさいました。
ですから先ずお念仏おとなえなさって極楽浄土に往生を願うことをなによりとなさることです。
多くの仏様が阿弥陀様のご本願によるすべての人々を掬い取り、極楽にお導きなさることを褒めたたえ証明なさっておられます。
今生での私達の目的は間違いなく極楽浄土に往生させて頂く事です。その助けとなるのならば様々な行いや礼拝等の行も望ましいのです。
主目的を見失うことなく弥陀釈迦諸仏のお導きを受けて往生の助けとなる諸行は良いと思います。
私のお寺にも薬師如来堂・地蔵堂そして稲荷宮がございます。
朝のお勤めの後にお念仏しながらそれぞれのお堂をお参りしております。
それは私達をお見守りなさってくださりお念仏の行の助けをなさって下さるからです。
あなたもどうぞお念仏の助けとなる行をお勤めなさってくださいね。
「悟り」と「往生」
kentarou様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教では仏陀の御体については三身を扱い、基本的には、悟りの真理としての法身、悟りのはたらきとしての報身、そして、実際に我々凡夫にも知覚可能としての応身(変化身)と分類されます。
そのうち、阿弥陀如来様は、報身(我々凡夫では直接にお教えを受けるのは難しい)とされています。仏教における菩薩様や明王様、天部の神々様については、法身からの応身(変化身)と考えられる場合と、修行半ばの者を言う場合のいずれかがあり得ます。
前者の場合は、衆生の教化のために顕れ出でられておられ、悟りへと向けてのそれぞれの機根(悟りへと向けた気質)に応じては、お教えを賜る必要があることも考えられるため、帰依の対象となさられるに問題はないかと存じます。
また、後者の場合であっても、我々凡夫に比せば、仏道の進みは遥か先を進んでおられる先師であるのは明らかであり、その先師よりお教えを賜ることもまた機根に応じては必要であることもあり得るものと考えられます。
(但し、実際に菩薩様や明王様から直接お教えを頂けるようになるためには、菩薩の十地の内、八地以上の聖者になる必要がある)
あくまでも、私たちの目的は、「悟り」ですので、そこへと向けて、様々な仏様、菩薩様、明王様のお教えを頂くことは、拙生としては、全く問題が無いものであると存じております。
ただ、「悟り」は目的ながら、その「悟り」へと至れるためとして、阿弥陀如来様の教えを直接に頂くために極楽への「往生」を目指すということであるならば、少し話は違ってくることになるかとは存じます。
雑行・雑修の問題については、「悟り」と「往生」において、「悟り」が最終的な目的であることには変わりありませんが、それぞれの機根に応じては、特定の仏国土・浄土への「往生」がまず重要となる場合もありうるため、それはそれでも構わないのではないだろうかとは存じます。
とにかく、いったいどの(方便)教えが自分の機根に合うのかは、正直、ご仏縁、ご法縁次第となるところも。そのため、まずは仏教を広く全般的に概観して学びを進めていかれることも大切になるのではないかと存じております。もしか致しますと、その流れの中で、やがて定まってくることにもなるでしょうし。。
共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
考えさせられる内容ですねぇ
kentarou様 自分は浄土真宗ですが、浄土宗さまの教えと若干違っておりますが、回答をさせて頂きますが、浄土真宗の御本尊は阿弥陀如来さまでございますので、他の仏さまを礼拝する事は行いません。親鸞聖人さまのお師匠さまの法然上人さまでございますので、ご縁がございます。
azumaさまの回答でおっしゃておられるように、私たち浄土真宗はお念仏を選択してただただひたすらにお念仏おとなえすること(選択本願念仏)が大切であり、阿弥陀如来さまのお救い(御慈悲)により浄土に往生させて頂く事でございます。混乱させて頂いたかわかりませんが回答とさせて頂きます。合掌
質問者からのお礼
川口 英俊 様
詳しくまた丁寧なご説明、ありがとうございます。
専修念仏は、まさに「「悟り」へと至れるためとして、阿弥陀如来様の教えを直接に頂くために極楽への「往生」を目指す」方法であり、「特定の仏国土・浄土への「往生」がまず重要」となるため、阿弥陀様への信仰を最優先する教えなわけですね・・・
「どの(方便)教えが自分の機根に合う」のか、阿弥陀様にすがる教えに惹かれると同時に、お不動様や大黒様に惹かれるという2つが同居しており、非常に悩んでいます。
今回のご質問も、どうすれば良いのか? この答えが知りたい一環でありました。
ご助言の通り、勤行と平行して、けっきょく私は何を求めているのか? それを知るために、仏教を広く全般的に概観して学んで行きたいと思います。
(それによって信仰の仕方も現在と変わるかもしれません・・・)
ありがとうございました。
kousyo Kuuyo Azuma 様
ありがとうございました。
やはり浄土宗では、まず主役の阿弥陀様にすがり、お念仏を最優先した修行をしながら、諸仏からその助けとなるお導きを受けるわけなんですね。
法然上人の御消息でも、弟子によっては(あくまでお念仏をメインにすることを条件に)雑行をゆるす記述もあり、問答にも神社への参拝を問題なしとしておられることから、浄土宗では阿弥陀様以外の諸仏を拝むことをよしとしているのかと、素人ながら解釈しております。
私は、この信仰方法に一番惹かれます。
引き続き、この勤行を続けながら勉強をして行きたいと思っております。
ありがとうございました。
堅田正樹 様
ありがとうございます。
親戚が真宗の檀家でして、お仏壇には他の仏様はもちろん、お位牌も置かないという徹底ぶりに、ちょっと驚いたことがあります。
やはり専修念仏、選択本願念仏を突き詰めてゆくと、こうした結論に行き着くのかなと素人ながら思っております。
ご助言、とても勉強になりました。
ありがとうございました。
PS
法然上人のご著書の行間を読みますと、あるいは「阿弥陀様にすがるだけでは極楽往生できないのではないか?」と言う疑いの心から雑修をするから良くないのであって、阿弥陀様のご誓願を信じていれば他の仏様の勤行をしても問題ないのかもしれません。あるいは神社や現世利益のように往生とは直接関係しない信仰ならば雑修にあたらないのかもしれません。
色々考えてしまいますが、引き続き勉強をしてゆきたいと思います。
あらためてありがとうございます。