嫌な事を嫌とは言えない自分に疲れます
嫌な事を言われても、嫌とは言えず我慢してしまいます。
子供の頃は好き嫌いをハッキリ言い過ぎ、友達から絶縁された経験があります。
それ以来、嫌な事を言われても、何も言わず我慢するようになりました。
いつまでも我慢していると、それがストレスになり、相手の些細な失言すら気に障るようになりました。
最後は我慢出来ず、相手との修復が出来なくなるほど怒ってしまう事が何回かあります。
本当に辛くて嫌な事は相手に伝えないといけないのではと最近思います。
でも、伝え方が分かりません。
嫌われてしまう、嫌な思いをさせてしまうと思うと何も言えなくなり、我慢してしまいます。
そんな自分に疲れ果てています。
本当に嫌と思った事に対して、どう相手に伝えれば良いか悩んでいます。
分かりづらい質問ですが、回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ガマンしてもしなくても、どう捉えるかは相手次第です。
人は、経験をもとに学びます。
ただし、その経験をどう解釈するかにより、感じ方は大きく違ってきますし、その後の行動に影響します。
あなたは子供の時の友達との出来事をもとに、ハッキリ自分の意思を伝えない事が、人間関係をうまく作り出せると捉えられたのでしょう。
ところが現状は、その行動によるストレスで悩まれています。
あなたは、人から嫌われないように努力されています。
しかし、そのおかげで、自分の感情を封じこめる事になってしまいます。
その行為は相手から自分の自由を奪われていると感じられるのではないでしょうか。
だから、自分の自由を維持するために「嫌と感じれば伝えなければならない」とさらに追い打ちをかけておられるのでしょう。
嫌な言葉を投げかけられるにしても、悪意がある場合とそうでない場合があります。
それはご自身で判断しなければなりませんが、悪意がないと感じられた場合は建設的に感情で伝えられてはいかがですか?
「今の言葉寂しく思う」「腹が立つ」「悲しい」「それは困る」「それはやだ」「傷ついた」など、どちらかと言うと、相手の懐に飛び込むようなイメージです。
また、嫌な事を言ってくる場合でも、相手は無意識に甘えの感情で関わってきていると理解して下さい。
「私を受け容れて」とあなたに訴えているのです。
そこであなたが、寛容に受け容れてあげれば、より良き人間関係が構築できるのではないでしょうか。
もし、悪意を感じられた場合、無理につき合う必要はないと思いますよ。
ストレスをためて爆発してしまっても何の利益にもなりません。
あなたは、すべての人に嫌われないよう行動していこうと、無理をされているように私は感じました。
でも、嫌われる時は嫌われてもいいと思いますよ。
なぜなら、あなたがガマンしても、それをどう捉えるかは相手次第です。
時には、自分の意思を主張されてもいいのです。
子供の時の経験に縛られ過ぎず、のびのび人と関わっていただければと思います。
質問者からのお礼
海老原 学善様
回答、ありがとうございます。
嫌われないようにと、自分の気持ちを押し込めた結果、強いストレスを感じるようになっていました。
海老原学善様の言う通り、相手がどう捉えるかは相手次第なんだと思いました。
悪意ない失言に悩む時がたくさんありましたが、それだけ私に対して心を開いてくれていたのかもしれません。
そういう人の気持ちを受け入れたり、苦しいなら建設的に言えるように努力出来たらと思っています。
幼い頃の経験にどうしても捕らわれてしまいがちでしたが、これを機にのびのびと生活出来るように努力していこうと思いました……!