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ネット恋愛を諦めるべきなのか

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有り難し有り難し 14

見ていただきありがとうございます。

ネットで出会った遠距離にいる同い年の男性に片思いしています。
ネットで出会ったと言っても実際に会ったことが2度あります。

しかし彼には彼女がいます。
ですが相手に対してあまり気持ちは強くないみたいです。
彼は悩みが多く、私が相談に乗っている内に彼にとって私は今いなくてはならない存在になってしまったみたいです。(実際に言われました)

最初こそは好きな気持ちは隠して彼を支える親友でいようと決意をしていたのですが、どうやら彼が私に対して好意を持ち始めたみたいなのです。
彼が私に好意を持つわけがないと思えていたので親友としていようと決意できていたのに、もしかしたら私のことを好きかもしれないという可能性が出てきてしまった今とても気持ちがぐらついています。

心の距離で言えば彼女より私の方がどうやら近いみたいです。
それでも恋人がいる相手に今の関係は不誠実だと思い、彼から離れたいと考えたこともあります。
また好意を伝えてくる割に彼女と別れない彼にもモヤモヤしてしまいます。

今の友達以上恋人未満の関係をどうすれば良いのかわかりません。
諦めるべきなのか、諦めずに言葉は悪いですが略奪する方向でいくべきなのか。

何か視野が広がるような助言を頂けますと幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

嘘を見抜けてこそ大人の女性

あなたに好意を示していながら今の彼女と別れない。
それが答えです。
それって結婚してなくても事実上の不倫行為ですよね。
既に彼女に隠れてあなたに合っている。彼女を傷つけている訳ですから。
やたらと好きスキ言ってくる自分ラブな男性には耳を貸さないことです。
成熟していない女性は自分を「好き」と言ってくれること嬉しい、好きなので、相手のウソを見抜けないのです。
冷静になってください。
彼は彼女と別れないという事はあなたは遊び、保険、キープ、自分の欲望を満たすための道具です。
あなたを好きと言って自分に関心を向けさせてどっちとも別れない。
都合の良いように利用されないことです。
あなたから身を引かなければこれは関係が切れません。
もう一度申し上げます。
あなたに好意を示していながら今の彼女と別れない。
それが答えです。
刺激や快楽に溺れて魔道を歩めば後ろめたい気持ちが残り払いたくてもそれはぬぐえないものになってしまいます。自分の身を守るとは、相手のウソも見抜けるようになれることを言います。
詐欺師は常にこちら利用します。
詐欺師より賢い生き方をしなければ私たちはいつも詐欺師の被害者なのです。
一方、真のナンパ師は相手に騙されたとも思わせませんし、騙されても
「は?彼、取ってもイイ人よ?」と思わせるのです。
お互いの関係がオイシイから、騙されたとも思わないのです。これにもご注意を。
こういうやり取りでさえ、すでに情報です。
情報は情報にあなたの自己脳内情報が付加されてそれ以上のものに感じてしまうという恐ろしさがあります。
実物の彼はあなたに情報上で好きとか必要としていると言いながらも(それは嘘ですからね)、
彼女と別れていない。
それが答えです。目を覚ましてくださいね。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元 様
回答ありがとうございます。
お言葉、痛いほど響きましたが未熟ゆえにまだ諦められそうにありません。
このまま耐えられるところまで交友は続けて彼がちゃんとどうするのか待ってみたいと思います。

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