自身の成長
私はこれまで、自分が受けた理不尽さや偏見等の負のパワーを昇華することで、実益に変換してきました。所謂、何くそ根性ですが、目的が負けたくないという不純な動機だけに継続性や将来性がなく、このままではダメだと思うようになりました。
しかし、なかなか次のステップに踏めずにいます。負けず嫌いという性質は、治らないものなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そこに安住するゆとりを持つ
次のステップ という図式がそもそも私的には要らんお荷物だと思うのです。
理想を描く、今現に目の前に無いものを追い求める、心の中で別のビジョンを描きそこに到達できないとそのギャップで、それが苦やストレスを生じるのでしょう。
あなたは一旦、次のビジョンを想い描くことをやめた方がいいと思います。
最初に乗った駅から、目的地の駅に至るまでをないがしろにしているという事です。
植物は若菜から急に果実を実らせるのではない。
つぼみはつぼみで安住しなければいけません。
十代で食事をろくすっぽ取らずにいた女の子が現在、骨粗しょう症です。
いつでも、ないがしろにしていい時は無いという事なのです。
人生勝ち負けではありません。
勝ち負けもおのれが描いた図式です。
戦っていない時のあなたは何ものか。
一番になろうとガツガツせんでもいいのです。
自分が随所、随所でできることを為せば結果は自然についてきます。
評価のために生きていませんか。
埼玉ではさっきは雨でした。庭に出たら曇りでした。今はセミが鳴くほどになってきました。
天は人間のはからいが無いから人間の都合が入る余地すらないのです。
あなたの辛さは人間のものです。
人間アクセルを踏むのをやめてセミや鳥の声などに耳を傾け、即今、即所に安住してみてください。
即今、即処とは、今ここなり。
今こことは、今、ここという事もなきなり。
肩の力を抜いて楽に生きてみたらどうですか
何くそ!!と反発の心で頑張ってきた。それもまた良いではないですか。
というより、「こんな考えは良い、こんな考えは悪い」なんて善悪をつけず、そのまんまありのまんまでいいのではないですか。勝ち負けというものは自分で作るものでしょう。
高校野球で勝った負けたがあっても。点数の上で負けても、本人の心の中では、充実感でいっぱいであることもある。人の評価で決めるものでもない。
気楽にそのまんまを受け入れていけば、良いのではないですか。自分の精一杯の努力そのものが重要なのだと思います。
自分に負けないで
このままではダメだ、とご自分で気づかれたきっかけがあるのですから大丈夫です。「負けず嫌いな性格」というのも、ご自分で気づかれたものですよね?自分で自分を冷静に見つめられているのだなと私は思いました。
負けず嫌い?いいじゃないですか!これからは他人や周りじゃなくて、自分に負けないようにいきましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございました。ひしひしと胸に伝わりました。
力を抜くのは怖いですが。中断は百歩後退。それ以上に今、私が学ぶべき学びなのでしょう。
季節の移ろいを感じ、虫の音を聞いてみます。仕事なんかやめて、旅行でも行こうかな。