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引退か続行か

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お仕事柄、体型を維持しないといけなかったり、他人の目を気にして毎日を過ごさなければならないため、心も体もボロボロです。

同級生や仲のいい同業のお友達もどんどん結婚していき、私は気づいたら一人ぼっちです。

今まで私のお仕事の活躍を見て元気になってくれる人や、喜んでくれたり、父や母も最近やっと活躍を喜んでくれるようになり、応援がとても励みになっていますが、

収入も波があり生活も決して楽ではないけれど、華やかに保つための付き合い、どんなに仲が良く見えても同業者間での嫉妬や自身の体型維持、全てが辛く、もう潮時なのかと思う時もあります。
ただこのお仕事一筋でこれまでやらせていただいていたので、もしこの仕事から引いた後、私がこの世のために何ができるのかが全く思いつきません。

周りで体型も維持をして、しっかり活躍されている同業者をみると自分が情けなくなり、また先輩方の活躍を見ていると、まだまだ続けていかなくてはと思い、強くあろうと思うのですが、弱い自分は本当はもう限界なのです。

この先の人生について考える時に来ているのかなと感じます。そんな時どのような考え方をしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

食えない仕事は仕事じゃない

世のために何ができるかなんて考えるもんじゃありません。仕事ってのは食っていくためにするもんです(単純な食事に限らず)。一人一人が自分で自分を食わそうとしてこそ社会が元気になります。
なのにみんな幸せになるのが悪いことのように苦労ばかり背負い込もうとする…お互いに他人のためとか言いながら、お互いに受け取らない。そこに美談はあっても実用の美は無いんです。そういうの、ナンセンスです。だから天変地異の後に「生き残ってしまった」と罪悪感を持たざるを得ない社会になる。大事な局面で価値観の薄っぺらさが露わになる社会になる。

そうじゃない。まずは自分が自立して生活できる体制を整える。その上で困っている人がいれば一緒に立てるよう分かち合うのが良いのです。お釈迦さまもおっしゃっています。

>他人(ひと)を利すること
多かるとも
このことのゆえに
おのれの利益(つとめ)に怠るなかれ
おのれの本分(つとめ)を覚(し)り
そのつとめにこそ
専心(ひたすら)なれ
(友松円諦『法句経』第166偈)

ここで言う利益とはお金を稼ぐことではなく、修行のことです。つまり身心の平穏を得ること。
考えてみてください。あなたが社会のオピニオンリーダーとしてのお仕事で成功すればするほど、あなたのようになりたい!と感じる人が増える…あなた、お墓のご先祖さまに胸張って報告できますか?「私、こんなに良い生き方を発信しましたよ!」って。

もし言えないなら、自分で自分を食わすことが出来ていないからです。
逆に自分を食わすことに自信があるなら、その生き方を誰かに伝えようと思えるでしょう。それが自分のテーマになります。お坊さんの法話を聞いていても、伝えたいテーマが無いお坊さんの話は僧侶っぽい雰囲気がウケるだけでグッと来ません。でも、善いテーマがある人の話は僧侶らしさを脱ぎ捨ててもグッときます。実用の美があるから。ひょっとしたら、体型の維持も僧侶らしさと同じかもしれませんね。

とは言え、迷いが出たからと言ってすぐ止めてしまえば、どこの業界に行っても修行になりません。とりあえずは今のまま、一人でも多くの人に相談して見聞を広めてはいかがでしょうか。あなたが真似し、他人にもオススメしたいと思える生き方に巡り会えるよう。その結果が現状維持ならそれで良し、他の路線ならそれが進路変更先です。引退のための引退は悪循環です。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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どちらにしても❝我行精進 忍終不悔❞・・・。

チャンスは中々やって来ない・・・。ひょっとしたら一生・・・。冷たい様ですが、人生とはそんなものです。
仏教では誰にでも❝四苦八苦❞がある、と教えます。その中の一つが“求不得苦(ぐふとっく)”「=求めて得られない苦しみ」というものです。あなたは芸能関係のお仕事をなさっているとか・・・。そして現在文字通り“求不得苦”の苦しみのなかで、悩んでおられるのでしょう。そして、結婚願望が芽生えてきたようですね・・・。しかし「逃げ」で結婚しても、恐らく幸せにはなれないでしょう。結婚は「一緒に人生を歩みたい」と思う人と出会ってこそ、幸せになれるのです。
さて、引退か続行かは、結局自分で決めるしかありません。
まずご自身の健康を考えて下さい。体力の限界を超えて「頑張って」も長続きしません。本当に限界だと思うのなら、スッパリ諦めて、別のお仕事を探しましょう。キット自分にふさわしいお仕事に出合えるでしょう(それを「仕合わせ」というのです)。そして「いい人」にも巡り合えるかも・・・。
まだ未練があるのなら、リラックスして「その内チャンスが来るかも・・・」と❝運を天にまかせ❞芸能活動に役立つ「習い事」等をしてはどうでしょう。
お経の中に❝我行精進 忍終不悔(がぎょうしょうじん にんじゅうふけ)❞「一所懸命努力し、辛抱して耐えておれば、最後にはキット後悔しない」という言葉があります。高倉健さんがスランプの時、あるお坊さん(酒井雄哉大阿闍梨)に授かった言葉だそうです。よく味わってみて下さい。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ご回答頂きありがとうございました。

学生の時から13年間、この道1本でやって来ました。これまでこの様に仕事について考えた時は踏みとどまって来ましたが、今回は引退しようかという思いが強く、相談させて頂きました。

3年前より着物について学ぶため学校に通っております。今までの経験や着物の知識を活かして何か出来ることはないか、考え、動いてみたいと思います。

ありがとうございました。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

自分について

3回目の質問です。 長文すみません。 実家にいるべきか悩んでいます。 HSPという気質からか、親や家族(人)といるとどこかで素を出せず、自分が消極的になっているのがわかるからです。 家族のことは嫌いなどではなく、仲はとてもいいです。例えば家で家族との会話はできますが、勉強するとき声を聞かれたくなくて音読ができなかったり、今何をしているか知られたくない、家族の機嫌やその場の状況によって左右されてしまう、などがあります。 私は以前海外留学していました。 その時の理由の一つも、家から離れたら何か変わるかもしれないから、でした。 確かにその期間は自分で考えられて積極性もついていたと思います。自分でも変わったと思った瞬間がいくつもありました。でも帰ってきたら元に戻りました。 再び海外に行きたいですが、海外生活が思ったより寂しいものと気づき、情けないですが、次行っても孤独に耐えられる自信があまりありません。また自分が親に依存していることにも気づき、どこへ行けばいいか悩んでいます。 であれば首都圏へ行ってみるか、でもお金もかかると思います。(資金力はある方ですが、環境を変えればなんとかなると思って結局居住費などお金のムダ、なんてことになると良くないと思い踏ん切りがつきません。) 地元で図書館に行ったりして、知識を積んで家にいない時間を作るか、それでも家に帰れば無気力なのかな。と悩むとキリがありません。 何よりも、親や家族に自分を出せていなければ、自分は世界どこへ行っても誰にも理解されない孤独な人間になるのでは、という寂しさが耐え難いです。 私は成長したい気持ちから海外や別の場所へ行きいろんな世界を見たい気持ちだったり、今の自分ではいけない気持ちが強いです。留学へ行って自分を出していた経験から、現在がとても遠いもののように感じられ、もどかしい焦燥感のような気持ちを感じています。留学の時も、このように自分を責めてばかりでしたが。 でもいざ行動してみると1人とても寂しい自分の姿がイメージとして浮かぶんです。 考えが甘い部分があると自分でも感じています。迷ってばかりで申し訳ないです。 行き先をどう決めるべきか、お叱りやアドバイスをくださらないでしょうか。長文すみません。何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 5
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人と深い付き合いができず、人が嫌いです。

はじめて、相談を送ります。 お坊さんにのみ公開されているプロフィールを見ていただけると、過去何があったのかは記載したのですが、私は両親や姉妹との関係性が悪いです。 また、私の母も人嫌いで常に人の悪口を言っているような母でした。 その事も関係あり、人間全般がとても苦手です。軽く浅いお付き合いであれば出来るのですが、少しでも深く関わって来ようとされると嫌悪感でいっぱいになります。 苦手な人は、私の家に入ろうとする人や連絡先を聞いて来ようとする人、また仕事上の人間関係にプライベートまで付き合って来ようとする人等です。 出来れば家で1人でいたいし、誰とも関わりたくありません。 ただ、このままだと子供の交友関係にも問題が生じて来るだろうし、仕事も何か人間関係で問題があるたびに転職しなくてはならなくなります。 家族関係で問題があり、今の自分に影響がある人について、親や姉妹の事を大人になってまで人のせいにするなと、よくネット上では見受けられます。 私も大人になってまで、どうしてこんなにも親や姉妹の事から逃れられないんだろうと不甲斐無いです。 人を変えることは出来ない。自分を変えることしか出来ない事も分かっていて、性格を変えたり、人と楽しく付き合えるようになりたいのですが、とにかくしんどいです。苦しいです。 友達も数人しかおらず、その友達にも悩み事は相談できません。 誰にも相談出来ない。 旦那には多少言えますが、ほんの1割程度しか吐き出せません。 いつも自分で抱えて苦しいです。 誰か助けて欲しい。

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人生の楽しさ

現在子育て中です。 元々、物事を自分の計算した通りに進めることが好きな性格で、時間内にいかにタスクを処理できるか常にパズルのように当てはめて動いていました。 子どもとの生活は、そんなやり方は一切通用せず、思っていた時間に思っていたことができないことも多く、また、自分自身のことで発生するタスクにイライラするようになりました。自身のタスクとは、睡眠、食事、排泄という生きるうえでの根本的なことで、なぜ眠たくなるのか、ということにすらイライラしています。(無駄なタスクが増えるから) そして、そういえば自分は元々、生きることが面倒くさい、生きるうえで発生するタスクを処理することにイライラしながら生きてきたことを思い出しました。 いつも、変わりたいと思って色々な本や人の話を読み漁り、何とか軌道修正してきましたが、本心の部分から変わったわけではないので、ふとした時に本音の自分が登場します。登場しては、少し時間が経って内省する毎日です。 自分が素晴らしいと思っている人たちも、毎日の生活レベルではイライラすることもあるのかと思いますが、少しでも今より良い性格になりたく、考え方のアドバイスをいただけたら嬉しいです。 文章にまとまりがありませんが、今の気持ちのすべてです。 よろしくお願いいたします。

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老親に心が開けない自分が嫌になります

両親は現在89才と86才、共に軽い認知症で持病も患っています。 施設には入らず、通院しながらお互いを支え合って生きている両親です。 いずれそう遠くない未来にあの世に旅立つことは間違いなく、だから私は少しでも多く実家に顔を出そうと務めております。 破天荒な私と違い、本当に常識的な一般良市民である両親で、私のこともずっと愛して育ててくれました。 それがわかっているのに、昔からどうしてもソリがあいません。相性が合わないと言うのでしょうか。 特に母とは昔から会話をしていてもかみ合わず、どうしてもイラっときてしまって話をする気にならないのです。 例えば、私がバツイチなことについて「老後が寂しいじゃないの。何とかならないの」と心配顔で言われます。 私が「もう再婚する気はないし寂しいとも思わないから大丈夫!」と言っても 「そんな事ないわよ。やっぱりひとりは寂しいわよ」とさらに心配顔で言われ、いたたまれません。 これは一例で、その他私の生き方、考え方が母の理想とは違っているために 会話がはずみません。 こんな感じで私はいたたまれなくなったり、イライラしたりするので なるべく母と話をしたくないのです。 私がもっと心を開いて母とたくさん会話をすれば母はどんなに喜ぶかわかっているのに、です。 この先、母が永遠に旅立った後で自分がどんなに後悔するか、どんなに母を恋しく思うのかしっかり想像できます。 それでも今現在は母との会話を避けてしまう自分が情けないです。

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この人のもとで学ぶ事への不安

初めてこちらにて相談をさせていただきます。 私は今月から、ヨガインストラクターの養成講座を受講します。 そのスタジオは長年養成講座を行なっており、講座の説明や見学、普段のレッスンも受け、レベルの高さやスタジオに通う方々の人柄にも触れ、ここなら大丈夫だと受講を決めました。 しばらくして、先生方と一緒にヨガ哲学を交えながらみんなで悩み相談や雑談を楽しむ企画が始まり、私も参加しました。 そこではいろんな方の話を聴く事ができ、先生方の受け答えの内容に時には心震え、涙しました。 しかし先日、その企画に再度参加した時の先生方の返答や考えに違和感を覚えました。 ヨガ哲学や食生活に合わせて出てきた言葉が、行きすぎた反ワクチンの考え方や添加物は絶対悪といったもの。 さらには○○社や××社は裏で武器を作って利益を出しているから、そこの商品を買う事は戦争に加担している。ワクチンは人口削減の意味があるし、金儲けの為にワクチン接種の決まりを作り、真実がバレると誰も打たなくなるから情報規制をしている人がいる。 Qアノンなど陰謀論を語る人には有名な単語も出てきて、「私達は真実を知っている。だからこそ見本となり、間違った現代の日本を変えていきましょう」と熱く先生が語り、皆がうんうんと頷いたあの空気に今でも恐怖を感じます。 もしかしたら先生の言葉の中に真実もあるのかもしれません。 ですが普段聞き慣れない単語、怪しいかもと思えるようなものを半ば押し付けるように語り、自分が知るものを知らない周囲を見下し、自分達が正しいと断言…まるで洗脳でもするかのような言動をした先生方を目の当たりにした事で一気に恐怖心が芽生えてしまいました。 怪しい宗教を目の当たりにしたような恐怖や不安、嫌悪感は日に日に強くなります。 長くなりましたが、タイトルにもあるようにこのような不安や嫌悪感を覚えたまま本当にこの人のもとで学んでいいのでしょうか? 今の自分がなくなりそうで怖いです。かといって安定を求めるのは退行でもある、と先生は言っていました。その言葉には概ね同意出来ます。 ですがあの時の先生のような思想や言動で自分や家族、応援してくれる人を傷つけたり、振り回したくないです。 どうか、ご意見をよろしくお願いします。

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自身の悲運をずっと引き合いに出してくる夫

夫が全て夫自身の生まれのせいにする傾向があります。 貧乏というほどではないですが、あまり経済的な余裕がない家庭に生まれた夫は、学者になるという夢がありましたが、大学に進学できた途端に、家族からこれ以上の経済的な負担は厳しいと言われ、奨学金も満額借りていましたが、泣く泣く学問の道を諦めました。 ちょうどそのタイミングで出会った私とそれからは暮らし、現在は私の父の仕事を手伝っております。 現在に至るまで、彼は積極的に仕事を探そうとしなかったり、通信の大学も一度入学したのですが、やる気が出なかったのかほとんど実績を残さずそのまま退学しました。 私自身が、両親が会社を経営していたりと、比較的金銭的には恵まれた環境で育ててもらえたということもあり、何か喧嘩するたびに彼は自身の経済的に恵まれなかった生まれを引き合いに出してきます。 彼の悲運には同情するばかりですが、その後の彼の行いは、半分程度は彼自身の選択(仕事を探さなかったし、勉強も続けなかった)の結果ではないかと思ってしまいます。 そうして落ち込んでいる時に私が何か言葉をかけても、「君は恵まれて育ったから僕の気持ちはわからない」と一蹴されてしまいます。私自身もそれはごもっともではあると思うのですが、私のツテで仕事をしていたり、他にも私の両親に金銭的に援助してもらったりと、私の生まれに恩恵を受けているのは夫も同じくなのではないかと思ってしまうのです。 彼は一緒に地獄に堕ちてくれる人を待ち望んでいたんだろうな、と結婚前から感じていたことでしたが……結婚前から金銭的なことだけでなく、色々と問題はたくさんあったので、彼とは心中するつもりで結婚しました。なのでこうした問題はもちろん覚悟の上ではありました。私にも足りないものがあったからこそ彼に惹かれたのでしょう。 また彼が自身の悲運を引き合いに出してきた時は、私はどうするべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 14
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ