気持ちと行動が一致しない
以前、仏壇に手を合わせるという件でご相談させていただきましたが、
まだ自分の中で消化しきれなくて、
毎朝子供たちが手を合わせることに対してため息をしてしまう毎日です。
手を合わせるのが嫌ではなく、仏壇があるのは隣の義実家なので、時間にすれば1.2分のことなのに、それがどーしても嫌な気持ちで、仕方なく隣に行って手を合わせるといった感じです。
この一連の流れがすんなり気持ちよくなるにはどのような考えでいたら良いのでしょうか??
こんな私にアドバイスを頂けたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
余裕がないイコール能力(キャパ)が低い
普通なら忙しいはずの朝に、わざわざ別棟に行って仏壇に手を合わせることができるお子さん達は、
それだけの時間と精神の余裕があるのです。
つまり、パソコンでいえばまだまだ余裕でサクサク動く状態なのです。
逆に、1~2分の違い(わずかな処理データ量の増加)でいっぱいいっぱいになるのは、それだけキャパが低いということです。
スマートではない、クールではないのです。
毎朝、毎日、余裕・ゆとりを持って暮らせるようになるための、修行(トレーニング)だと思ってはどうでしょうか?
その程度のことは軽くこなせるような能力・身軽さが身につけば、人生全般に役立ちます。
どんなピンチにでも落ち着いて判断できるようになるかもしれません。
また、忙しい中にでも遊び心を忘れないような余裕が身につけば、お気楽極楽な人生になるでしょう。
そういえば先日、私の3歳の娘が、朝の忙しいときに家の前のお花を摘んで私にくれたのです。
私は、「あ、そうか、この子はこの忙しい朝でも、ちゃんと楽しんで過ごしてるんだ」と、妙に娘を尊敬してしまいました。
本当に「リッチ」な生活とは、資産が多い生活ではなく、心と時間に余裕がある生活なのでしょう。
阿弥陀仏という仏様は、計り知れない寿命がある、つまり時間がたっぷりある仏様です。
時間に余裕があるから、全ての生きとし生けるものを漏れなく救うことができる身軽さがあるのです。