自信を取り戻すには、どのように生きたらよいでしょう?
失恋をきっかけに自信を失ってしまいました。
打ち砕かれた自信を取り戻すためには、どのような心がけで生きるのがよろしいでしょうか。
両親からは他の子と比較され「お前はだめな人間だ」と言われて育ち 学校ではいじめにあい、逃げ場を探して苦しんで苦しんで 「死にたい」が口癖の哀れな大人になりました。
誰からも必要とされず、未来に希望も見出せない。 満員電車に揺られながら、毎日が苦しいだけ。 死ぬ理由に勝る生きている理由がない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「何」を砕かれましたか?
初めまして。本多清寛と申します。
唐突ですが、昔の禅僧にこんなことを言った人がいます。
「不安な心を持ってくれば、落ち着かせてあげよう」
自信がなく不安定な人に対して、貴方の心を持って来なさいと言ったのです。言われた人は、はっとしてこの禅僧の弟子となりました。
私がこの話を読んだ時の感想は、「えーーーーっ、まじか。」です。心なんか持ってこられないのは分かってるし、持って来たら落ち着かせてやるとか言っちゃって、ふざけてんのかよ!と思っておりました。(というか、文字だけで読むと、禅問答と呼ばれるもののほとんどがはぐらかしに思えてしまうんですが。。。)
しかし、禅僧の弟子となった方は、どこに行っても解決しなかった「不安な心」を、禅僧の言葉で落ち着かせることができたのです。つまり、禅僧の言葉だけでなく、その時の雰囲気や禅僧の修行態度、そして弟子の本気が合わさり、心に突き刺さる言葉になったということです。
さて、どうしてこんな話をしたのかと言いますと、ここで迷える羊さんに何を言ったとしても、響かないと思ったからです。自信がない人に自信を与えられません。なぜなら、自信は湧き上がるもので、与えたり奪ったり、ましてや砕いたりできるような代物ではないからです。
道元禅師という方は、誰かを指導する時、必ず「葛藤」があると仰っています。むしろ、葛藤によって葛藤を伝えていくことこそが弟子のための指導方法だと仰いました。この話は弟子を取るようなお坊さんであっても、自信を持って生きることが最善ではなく、迷える羊として葛藤する自分を知って生きていくことが最善だということです。
迷える羊さんは、自分が迷っていることを知っています。その迷いを解決したら次の迷いがやってきます。それはしょうがない。まずは、迷って生きていてもOK!ということを自分に教えてあげて下さい。迷って不安で、何も上手く行かないことは、とても苦しいことだと思います。でも、それが普通なんです。その迷いを捨てようとせず、迷っている自分に優しくしてあげて下さい。心が苦しくなったら身体を休ませ、身体が辛くなったら心を楽しくすることをやりましょう。心を楽しくする簡単な方法は、誰かに感謝されることです。電車で転がり続ける空き缶を拾って捨てたり、倒れている自転車を立て直したり、特定の誰かのためではない良いことをするといいですよ!
質問者からのお礼
本多清寛さん
遅くなってしまい申し訳ありません。
じつは回答をいただいた直後にお礼を書こうと試みたのですが、その段階では自分の中に答えが見つからず、うわべだけのお礼を申し上げるのも失礼な気がして、ここまでかかってしまいました。
申し訳ありません。
では、現在、答えが見つかったのか、と申しますと、いまだに見つからず模索している最中でございます。
この回答をいただいてから自信を取り戻しかけたり、かと思えばば失ったりを繰り返して、一進一退を繰り返しました。
そんな焦りと迷いの日々の中でも、自棄になって悪事に走ったり、己の命を絶つことをせずやってこれたのは、清寛さんや多くの方々から「迷ってもいいんだよ」という言葉をいただいたおかげかもしれません。ありがとうございます。
まだ迷い続けますが、自分で納得ができる日が来るようにいろいろと悩んでいきたいと思います。