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他人を苦しめる人が得をするのは何故でしょうか?

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有り難し有り難し 26

お忙しいところ恐縮ですが、長年どうしても気になっていることがあり、僧侶様方へ質問させていただきたく思います。

タイトルに関することの例として、エピソードを一つ挙げさせてください。
私事になりますが、幼少期より十数年間いじめに遭っておりました。主にクラスメイト全員と教員からです。
(悪口、陰口、暴力、暴言、物を壊す、無視、仲間外れ、等)

非常に苦しく、辛くて辛くて死んでしまいたいほどでしたが、そのときの影響が現在も強く残っております。
その経験も含めた心身の苦痛のために、通常の生活が送れておりません。

当時、虐める側は、何時でも何処でもとても楽しそうでした。
直接虐めに関わらず、見て見ぬふりをしていた子どもたちも、皆で仲良く楽しく過ごしていました。
一方で私は、良かったことなど1度もありません。

そして偶然、最近その子達の現在を知りましたが、相変わらず楽しそうで、仕事も遊びも人間関係もそれ以外も、充実している人ばかりでした。

「周りからそう見えても本人は違うかもしれない」ということはわかります。
しかし仮にそうだとしても、彼らは過去や今の私よりも、ずっと良い日々、人間らしい社会生活を送っていることは確かです。(詳細は伏せさせていただきます)

私に関する虐めだけに限りませんが、私には、他人を貶める人たち(性別年齢問わず)が何に関しても得をして、楽な思いをして生き続けているように見えます。
一方で苦しめられる人たち(〃)は、他者に散々踏みにじられた後も、ずっとずっと苦しみ続けているように思えます。

何故でしょうか?
自分がしたことは良い事も悪い事も返ってくると何処かで聞きましたが、結局は弱肉強食なのでしょうか。

一生、人間として扱われず、踏み台として耐え続け、使い古されたボロ雑巾となり死ぬのでしょうか。

「いつか良いことがある」なんて言葉は、今の私にはもう信じられません。
今すぐ終わりを選びたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教は因果を説く

幼少期のいじめの影響で現在に足るまで大変お辛い思いをなさっているのですね。

私どもには何もできませんが、こうしてお話を聞くことで少しでもとと様がご自分を受け入れ、現実の大地の上に立ち、そしてあゆむことができる一助となれればと願っております。

大事なことは立つのは自分だという事です。立つための色んなアドバイスも、立たせようとする支えもありますが、最後に踏ん張って力をいれて立つのは自分だということ。そのことを忘れないでください。

さて、仏教は因果を説きます。物事には原因があって結果がある。善い原因が善い結果を生み、悪い原因が悪い結果を生むという道理です。(ここでいう善悪とは一般でいう善悪とは違いがあるので注意が必要です)

ですから、とと様を苦しめた人たちが苦しめたことが原因で現在得をしているということはありません。それは因果関係が結びつかないでしょう。
彼らはたしかにいじめという悪い事をした。それによる悪い結果は必ず受けます。ここhasunohaでも、幼少期のどんな些細な悪事であってもその罪の意識から逃れられず、どう懺悔したらよいか、どうしたら許されるかと相談される方はたくさんおられます。彼らは必ずその影響を受けているのです。
一方で彼らが「楽しそうで、仕事も遊びも人間関係もそれ以外も、充実している」のはなぜか?
それはいじめという悪事をしたからではありません。

仕事で努力をして成功という結果を得た。人間関係を求め続けることでよいご縁に恵まれた。楽しいことは何か探し続け、様々な事に興味を持ち取り組むことで人生の楽しみをみつけた。

そのように原因があって結果があるのです。悪事をしたことで良い結果を得たのではなく、悪事をしたことではその報いを受けつつ、良い結果を得るためにはそのための良い原因を整えているのです。

ですからおっしゃる通り「いつか良いことがある」と待っているだけでは良いことは降ってきません。
とと様が自らの足で立ち、歩みを進める時を世界は待っているのです。歩みを進める中で、これまで良いと気づかなかったことが良いと思えたり、新たな良いことに恵まれたり、そもそも良い悪いの価値観は自分が決めているモノサシに過ぎなかったと目覚めたりするのでしょう。

追記
字数制限がありこれ以上回答できません。新たな疑問は別に質問を立てていただければ幸いです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます。
大変有難く存じます。本当に感謝しております。
今だけでなく、何度も読み返し、考え続けていくべきことと感じました。

「自分を受け入れる」
「最後に踏ん張って力をいれて立つのは自分だということ」
「自らの足で立ち、歩みを進める」
「歩みを進める中で、これまで良いと気づかなかったことが良いと思えたり、新たな良いことに恵まれたり」

これらのお言葉が、とくに印象深く心に響きました。
今を見つめ、受け入れ、立ち上がり前へ進めれば、それ以上の幸福などありません。

因果についてのご説明も、大変ご親切でわかりやすく、感謝申し上げます。
幼少期の些細な悪事を後悔し苦しまれている方がいらっしゃるとのこと、意外に思い驚きました。
悪い行いは悪い原因であり、必ず悪い結果を生むのですね。

そして読み終えた上で、また一つ疑問が生じました。

私の身に今まで起きてきたことは、それほど多くの方が経験する訳では無いことばかりです。
プロフィールに一部記載しておりますが、記載していないことも多々ございます。
立つことも話すことも出来ない頃から、ずっとです。

これは、私自身が生まれたときから悪い原因を作り続けたからなのでしょうか?

hasunohaのシステムはまだあまり理解しておりませんが、もしご返信いただけるのであれば非常に幸いです。
サイトの都合等でご返信が出来なくても、それはそれとして受け入れます。
一度私の言葉を見てくださり、ご回答くださったことが、本当に嬉しく思っております。

もし他の僧侶様方も何かお言葉をくださるのであれば、大変嬉しく思います。
いつもありがとうございます。

追記くださり、ありがとうございます。
先ほど新たに質問を立てさせていただきました。
もし宜しければ、ご回答いただけますと幸いです。

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