自分のために生きることは許されますか?
閲覧ありがとうございます。
自分の為に生きることが、罪なのではないか。
人に迷惑をかけるくらいならば、
私はいないほうがいいのではないか。
最近そんなことばかり考え、
パニックなどではなく、
穏やかな状態で、死を意識するようになりました。
自らの幸せのために貪欲に生きる方法がわかりません。
こちらで記載できないことは
プロフィールにございますが、
家庭にも以前務めた職場にも問題があり、
19歳の頃、人間不信に陥りました。
いつ死んでも構わないとまで思え、
社会や人と深くかかわらないように
ひっそりと生きてきました。
今年に入りわずか4ヶ月ほどで、
①5年契約社員として務めていた上司からの準社員推薦
②嫌われていたと思い込んでいた親戚との和解
③交際を希望してくださる方が現れる
など、この5年では考えられないような
幸せなことが起こりました。
生きる希望や意味すら失っていた私ですが、
生き直せるのではないかと
淡い希望をもち、将来のことを考えた時、
いまの未熟な自分ではどうやっても
周囲の大切な人たちに迷惑をかけてしまいます。
私はそれが辛くてしかたありません。
優しくされたり、なにかしてもらったりすると
情緒が不安定になり泣きだしてしまいそうになる始末です。
私の考え方は、
どこからか狂ってきているという自覚がございますが、
自分ではどこからかえていけばいいかわかりません。
どうご意見、アドバイスいただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自利利他円満
自分のために生きていいのですよ。
「〇〇のために生きなさい」と人から強制されることはありません。
前回のご質問を拝見するとお母様の影響が強いのでしょうが、お母様のために生きなければならないとお母様に強制されているのでしょうか。人は本来自由です。
お母様に強制されているのではなく、お母様に強制されていると感じてしまう自分の心があるのかもしれません。もちろん、そのように「感じさせられている」と言えるくらいその影響は強いのでしょうが、自由になっていいのです。自分でその心を解放してよいのです。
そして迷惑をかけてもいいのですよ。人は迷惑をかけなければ生きられません。命を食さなければ生きられません。助け合わなければ自分の力だけでは生きられません。迷惑をかけても許されるような生き方をしましょう。「お互い様」の精神です。
迷惑をかけたくないから命を自ら終えるとするならば、それは命からして迷惑な話です。私は私が生きていると思い、私の思いや考えが私だと認識しがちですが、そんなものとは関係なく、心臓は脈を打ち、肺は呼吸をし、細胞は分裂を繰り返し、生の営みを休むことがありません。
「死にたい」とか「迷惑かけたくない」とか「いない方がいい」とは私の頭だけがそう考えていて私のいのち全体は生きたい生きたいと願っています。
未熟な私が未熟なりに生きることで、誰かの支えを必要とします。その誰かは私を支えることにやりがいや生きがいを見出したりします。それを見て私は私も誰かのために生きたいと願いだします。
「私のため」が「誰かのため」に
「誰かのため」が「私のため」に
これを仏教で自利利他円満(じりりたえんまん)と言います。
迷惑をかけて、かけられて、許し合って、支え合って生きていくのです。
幸せになってください。
私が私のために生きる歩みは、私だけが幸せになることを許しません。人は1人では生きていけず、必ず他との影響の中で生きていくのですから、始まりは「私のため」の歩みであってもそれでは終わらないのです。
応援しております。またいつでもご相談ください。
まずは自分の余裕
のすけ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
自分に余裕がなければ、もちろん人は助けられません。
泳げることができなければ、溺れている人を助けることはできないですし、お金が無ければ、寄附もできないですし。。
もし、他のためになることをしたいと思うのであれば、それなりに自分に余裕がなければなりません。
まあ、自分が幸せでないのに、人を幸せにすることなどできないという感じにて。
まずは自分の為に生きて、自分が幸せになってこそです。
そして、やがて余裕ができたらにて、他のためになることを、できることでできればにて。
迷惑はお互い様です。あまり気に過ぎずに、それよりも、この助け合い、支え合いの世界、少しなりにも感謝と謙虚を持って過ごして参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
法覚寺 吉武文法様
回答ありがとうございます。
前回の質問にまで目を通してくださったことと、いただいた言葉が非常に嬉しくて、
少し心が軽くなり、救われたように感じます。
私は私のために生きて行くため、いまできることを全力で取り組もうとおもいます。
許し合って、支え合っていきていけるよう、自分と向き合ってまいります。
岩瀧山 往生院六萬寺 川口 英俊様
回答ありがとうございます。
本当にその通りであると感じます。現在の私は、自分に余裕がありません。
自分の幸せを考え、自分のために生きて、自分を高めることで
誰かの役に立てるようになれば非常に嬉しいです。
余裕のある人生をおくれるようにつとめてまいります。