フラッシュバックが辛い
幼い頃に両親から受けた体罰のフラッシュバックが度々思い出され、なかなか消えません。
調理で包丁を握ったとき、外食時の皿が割れた音、怒鳴り声…両親から攻められた怖さが襲い、すぐに辛い記憶が蘇り、手は震え動悸や哀しさで胸が張り裂けそうになります。
ここまで 自力で穏やかな自分でいられる努力をしてきましたが、すぐに引き戻されます。
過去から解放される日はやってくるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
すでに解放されている今の事実に気づくこと
過去の辛い思い出は、記憶としてあるのでしょう。人間の持つ機能として、思い出せるということはあります。しかし、それと事実とは大きく異なるものです。
私は障害のある娘の父親でもあります。車椅子を押していると、周りの人の視線が気になることがありました。これは完全に私の思い込み、妄想です。人に見られるたびに、なんだか嫌な気持ちが湧き上がるような気がしていました。しかし、事実はただ見ているだけ。そこに意味も何もありません。どう思われているかなんてことは、私の考えでしかありませんでした。事実の後に思いや考えで色づけしていました。
あなたは今、包丁を持って料理をしようとしても、それは過去のものとは全く違うもの、離れきった生活をしています。あなたの体はそれを知っています。過去は一切引きずらず、今の事実を生きています。自分自身の体に学ぶのです。思いや考えを追うのではありません。それは妄想にすぎません。
事実は間違えのない、真実真理です。そして、引きずることもなく、生じたと同時に消え去るものです。そこに目を向けて見てください。目、耳、鼻、舌、体にまなぶのです。それぞれ何か自分で働きかけることも必要ないぐらい自由に活動しています。そして、善悪、損得、好き嫌いなく、全てを受け入れ、止めることもありません。川の流れのように流れています。だから、救われるのです。すでに救われているのです。
今、現実にあることを、過去に結びつける癖のようなものがあるのでしょう。物事が起きた時のほんの、0.0何秒後にあなたの記憶と直結させています。ですから、物事に出会ったままで生活できるよう、ただ目の前の事実にのみ目を向けることが必要です。
頭で考えずやってみましょう。考えることではなく、やってみるのですよ。
質問者からのお礼
早速のご回答を有り難うございました。
邦元様のお言葉が力強く、過去をさまよう私の弱気な部分が吹き飛んでいくかのように…心が動かされました。
何事にも頭だけで考えるのではなく、身体全身で受け止めて…「すでに救われている」この有り難い日々に感謝しながら、今を精一杯に生きていけるよう努力します。
本当にありがとうございました。