新しく生きなおしたい
自分で自分が嫌い、人間関係がうまくいかないと嘆き、理由がわからず自分の不運を嘆いていました。
自分を責め、他人も責め、世の中と運命を恨んできました。ここで相談させていただき、あるがまま、起きたことのみを受け止め、起こらないありもしないこと、自分の中の妄想に惑わされないこと学びました
私は物を取りおいたり、日記をつけたり
自分で自分を縛る生活、こうなくてはならない的な生活、仕事もそうです。
両親には自分と異なる意見が多く、会うことも気が進まない、他人には自分的には
気を遣っているのに裏目の反応、結果が多い、そろそろ見えて来ましたので自分を変える、生き方を変える歩みを進めたく思います。アドバイスよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつでも新しく生き直している
あなたは考え事を通じて自分を分析的に観ています。
「新しく生き直したい。」
これも何か新しく生き直せるようなビジョンを想い描いているでしょう。
そういう設定を起こすことが実はあなたの考え事カウンターの目盛り、数値がどんどん上げていっているのです。
そういう分析的な想いや考え事、思いのカウンター、目盛りの数値を上げないようにいてください。
その為には、じかに自分の今の姿を見てみてください。
新しくう生き直そうとせずとも、さっきまでの事をそこで終えていつでも新しくあり続けているのが万人の本当のありようです。
何も特殊な在り方を今から構築して「新しく生き直そう」ということ無しに、いつでも私たちは真新しいのです。
それを覚する事が自分を知る、仏道です。
仏道は考え事ではありません。
仏道を実践するうえにおいては、考え事が一番邪魔です。濡れ手に粟の濡れ手とは考え事です。手がサラサラならば粟はつきません。思いや考え事を働かせていなければ、今の目の前はいつでもサラサラで真新しいです。
真実を自分以外に求めない
私たちは、ついつい生活の中で思いに振り回されてしまいます。振り回されるほどにその思いにこだわり生活してしまいます。
しかし、真実は自分にあります。
目に見えたもの、聞こえた音、味わった味などそれぞれがそのまんまその瞬間に存在しています。
新しく何かを始めようとしなくても、あなたの働き自体が新しいことをしているのです。過去を引きずらない、未来でもない今という他にない新しい瞬間を生きているのです。
そうしたことに目を向けて生活してみてください。気を使う必要もなく、期待もなく、裏切りもなく、そこにそれがあるだけです。ご両親との意見の食い違いもあって当然。同じにする必要もありません。
思いに引きずられそうになったら、気持ちを今に持ってきてそのあり様をそのままに感じてみてください。ぜひ意識して生活してください。そしてぜひ、坐禅をお勧めします。形だけでなく中身のある坐禅ができるといいと思います。
質問者からのお礼
邦元師アドバイスありがとうございます。
座禅の仕方、している時の心もちなど、教えていただきたいです。