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新しく生きなおしたい

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

 自分で自分が嫌い、人間関係がうまくいかないと嘆き、理由がわからず自分の不運を嘆いていました。
 自分を責め、他人も責め、世の中と運命を恨んできました。ここで相談させていただき、あるがまま、起きたことのみを受け止め、起こらないありもしないこと、自分の中の妄想に惑わされないこと学びました
 私は物を取りおいたり、日記をつけたり
自分で自分を縛る生活、こうなくてはならない的な生活、仕事もそうです。 
 両親には自分と異なる意見が多く、会うことも気が進まない、他人には自分的には
気を遣っているのに裏目の反応、結果が多い、そろそろ見えて来ましたので自分を変える、生き方を変える歩みを進めたく思います。アドバイスよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつでも新しく生き直している

あなたは考え事を通じて自分を分析的に観ています。
「新しく生き直したい。」
これも何か新しく生き直せるようなビジョンを想い描いているでしょう。
そういう設定を起こすことが実はあなたの考え事カウンターの目盛り、数値がどんどん上げていっているのです。
そういう分析的な想いや考え事、思いのカウンター、目盛りの数値を上げないようにいてください。
その為には、じかに自分の今の姿を見てみてください。
新しくう生き直そうとせずとも、さっきまでの事をそこで終えていつでも新しくあり続けているのが万人の本当のありようです。
何も特殊な在り方を今から構築して「新しく生き直そう」ということ無しに、いつでも私たちは真新しいのです。
それを覚する事が自分を知る、仏道です。
仏道は考え事ではありません。
仏道を実践するうえにおいては、考え事が一番邪魔です。濡れ手に粟の濡れ手とは考え事です。手がサラサラならば粟はつきません。思いや考え事を働かせていなければ、今の目の前はいつでもサラサラで真新しいです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

真実を自分以外に求めない

私たちは、ついつい生活の中で思いに振り回されてしまいます。振り回されるほどにその思いにこだわり生活してしまいます。
しかし、真実は自分にあります。
目に見えたもの、聞こえた音、味わった味などそれぞれがそのまんまその瞬間に存在しています。

新しく何かを始めようとしなくても、あなたの働き自体が新しいことをしているのです。過去を引きずらない、未来でもない今という他にない新しい瞬間を生きているのです。

そうしたことに目を向けて生活してみてください。気を使う必要もなく、期待もなく、裏切りもなく、そこにそれがあるだけです。ご両親との意見の食い違いもあって当然。同じにする必要もありません。

思いに引きずられそうになったら、気持ちを今に持ってきてそのあり様をそのままに感じてみてください。ぜひ意識して生活してください。そしてぜひ、坐禅をお勧めします。形だけでなく中身のある坐禅ができるといいと思います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

邦元師アドバイスありがとうございます。
 座禅の仕方、している時の心もちなど、教えていただきたいです。

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