誰からも求められていないのに生きる価値はなんですか?
会社員です。真面目で努力家だと思います。出世もしたいです。
上司から見込みがあると気に入られ仕事が山のように降ってきます。
チャンスをいただいたと思い、一生懸命頑張っていますが、あまりに多くて一人でできる量ではありません。
しかし同僚からは気に入られてよいねと言われサポートが受けられません。
上司に相談しても、気合で頑張れというだけで、解決が図られず、休みもなく働いてばかりです。
そのような中、あまりに仕事量が多く、上手く回らなくなった結果、その上司にも見放されつつあります。もはや孤立状態です。誰に相談しても、弱音を吐かず頑張れとしか言われず、もう話す気力さえ失せました。
とはいえ、仕事は仕事。お客様に迷惑をかけないためにも頑張って仕上げるしかないので、粛々とやっています。
ただ上司にも、同僚にも必要とされない、家族も恋人も友人もいない。
お客様にとっても私の代わりはきっといる。
結局、誰からも求められていない、死んでも泣いてくれる人もいない。
そのような中で生きる価値はあるのでしょうか。
私が周囲を大事にできていないのでしょうか。私が悪いのでしょうか。
仕事ばかりの人生に意味はありますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
縁にしたがい感に赴く
だいたいに人の心というのは移ろいやすいモンです。源義経だって頑張ってお兄ちゃんに尽くしたのに、結局はお兄ちゃんに追い詰められました。ケータイの最新機種だってたった一年で「プププッ」な扱いです。レジ袋なんか酷いときには
客「あっ、袋いらねっす」
店員「テープでよろしかったですか?」(言うの遅せーよ!)
でゴミ箱行きです。
人に求められるということは、それだけ不安定なもの、頼りないものです。自分がどんなに誠心誠意尽くしても、受け取る側が変わってしまえば関係は変わってしまいます。そんな無常にして無情な世間を観て、お釈迦さまは悟りました。
「幸せと不幸せって結局、コインの表裏に過ぎないんだよね。真の心の平穏を得るためには、不幸も幸もどちらからも離れないといけないのよねん。」
他人に求められたい求められたい、幸せになりたい幸せになりたいと願う心が強ければ強いほど、不足を感じるボンノーDNAが活性化します。
そうじゃない。世間の人は厳しい修業で自分を磨いた果てに悟りがあるとか、休まず弱音を吐かずSINBOUした果てに幸せになれるものだと思いがちですが、OBOUさんに言わせれば逆なんです。
お坊さんは今朝、家庭菜園の水やりをしました。暖かな日差しが降り注ぎ、涼やかな山風が吹き抜けていく。肌が心地良い心地良いと喜び、おのずから口元が緩む。青空の下、草花の青臭さの中で水やりをしていると、青い山の向こうからブイィィィーンと草刈機の音が聞こえてくる。(おっ、誰だか分からんが朝早くから精が出るねぇ。俺も負けてらんねぇや。)
人は本来、生まれながらに生きる活力を湧かせる機能を持っています。言わば心の平穏DNAのようなものです。お釈迦さまはそれに気付きました。そして幸せを他者に求めることを止め、頑張って自分を高めようとすることも止め、本来の自分あるがままに委ねることにしました。アーしようコーしよう、生きる価値ガーではなく、感じること感じるままにお任せすることで、心の平穏DNAが自然と活性化してくるのです。
頑張らんでエエんです。頑張らんほうがエエんです。そんなお釈迦さまの生き方を習慣にするため、お坊さんは坐禅をします。あるいは読経や念仏、さまざまな修行をします。ちょっとお寺の坐禅会等に行って、頑張らん生き方を学んでみませんか?
生きているだけで価値があるのです。
「死んでも誰も悲しまないのになぜ生きる意味があるのか」「どうせ死ぬのになぜ生きないといけないのか」という自問自答してしまうということは、あなたの精神が疲れきっているから生まれる疑問です。何事もうまくいっているときには、そのような疑問は生まれません。
私の体験談をお話しますが、私は僧侶になる以前はサラリーマンをしていました。あなたと同じで、おそらく上司からも認められていたのだろうと思います。月平均150時間の残業をこなし、多いときでは250時間残業したこともあります。現在厚労省が定めた過労死ラインを遥かに上回る残業です。うまくいっているときには、むしろ大変でも仕事が楽しくて仕方ありませんでした。今私の頭には数カ所の大きな傷があります。結局ある日電池が切れるように倒れてしまって、脳の手術をしたからです。そして生死をさまよいました。
そうしたことがあったので、もちろん仕事上での「コース」からは外れてしまいました。
しかし、そうした状況になると、支えてくれる人達が現れました。
あなたも同じで、現在は見えていないだけで、どこかで支えてくれている人がいるはずです。
あなたが生きているだけで良いと思ってくれている人が必ずいます。
仕事ばかりの人生に意味が無いとはいいませんが、仕事だけの人生は虚しいものです。「気合でがんばれ」「弱音を吐くな」といった「根性論」は、今の時代では通用しません。そんな言葉を素直に受け取る必要はありません。仕事の代わりはいくらでもいますが、あなたの代わりはどこを探してもいません。
私の場合は仕事は退職しましたので、現在の私があるわけです。
あなたが人生のリスタートを望まれるのであれば、一度休職も含めて考えて、仕事から一歩下がったところで自分自身を一度見つめ直されてはいかがでしょう?
せっかく頂いた命です。あなたは命を言う宝物を持っておられます。どのような状況下であれ、だれしもが生きているだけで十分の価値を持っているということを忘れてはいけません。