自分の執着を認めつつ自制を行う方法が知りたいです。
無理に自分の拙い部分を治そうと己に矯正をして今まで生きてきました。
自分自身が間違っている、それを治せねば、そうやって生きてきたのに上手くいかず行き止まりました。
その間違いを認めるためにどうすれば良いのか、まず執着に執着している部分を治さなければ、と思って行動を起こしています。
ですが上手くいかず、今までの我慢を無駄にするのか、ということや元から性格が悪い人間が変に考えても上手くいかないと心底思ってる部分があり本来なら変える必要がある我欲を抑えきれずにいます。
この我欲を抑える方法はなく上手く認め共存していく他ないと感じい最近は生きている日々ですが、我欲を認めつつもそれを自制できるようなこころの豊かさを手に入れるためには何をすれば良いのでしょうか。
返答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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まずは自分を許す事です。
今までよく頑張ってこられましたね。
治そうとしても効果を感じられなかった事もあったり・・・
でも、その努力は意味がないことではないと私は思います。
自分と向き合って取り組んでこられた事は、確実に自分へのご褒美として還ってきます。
あなたは、本当は甘えたいのではないでしょうか。
しかし、大人としてそれは恥ずべきことだと思われている。
ただ、その思いがあなたの自由を奪っているかも知れません。
甘えの欲求を隠していても、消滅する事は出来ません。
どこかで、ひずみとして現れます。
また、執着している状態というのは、焦っている状態です。
ご自身が執着していることを認識されているだけでも、充分向き合われていると思います。
あなたは「~すべき」という感情が強いのでは、と私は感じます。
執着から離れるべきだ。甘えの感情は出すべきではない。自分を治すべきだ。
など。
自然な感情に従って生きてもいいのですよ。
自分を治し我欲を抑え込み、自分らしく生きてこなくても、特にいい事はなかったのでしょう。
「我欲を認めつつもそれを自制できるようなこころの豊かさ」
それは、自然な感情に従い、ガマンしなくても自分はOKだと認める事です。
しんどい時にはしんどいと思っていいのです。
無理に頑張らなくてもいい。
自分に嘘をつかず、自分の感情を許す生き方を心がけてみられてはいかがですか?
質問者からのお礼
心のなすがままに生きるしかないのかと最近は感じて生きています。
お礼が遅くなり申し訳有りませんでした
今は前を向いていけるように自分の心を休めています
笑って生きていけるようにしたいです
ありがとうございました