ごめんねの一言
付き合って1年近くになる恋人がいます。最近喧嘩することが多くなったのですが、彼女には「ごめんね」の一言がありません(もちろん0ではないですが)。喧嘩した時は、彼女から怒りを投げつけられることが多く、その後「一度落ち着きたい」と言われるのですが、それは彼女の怒りのほとぼりが冷めるまで待つ、というだけなのです。
そのため、喧嘩した後もしばらくするとケロッとした態度になり、実質的な仲直りがないままいつも通りになるので、僕が一方的に怒りを受け入れて終わるという感じであまり気持ちのいいものではないです。もちろん、いつも彼女ばかりが悪いわけでもなく、僕が本当に申し訳ないことをすることもあるので、反省するとともに彼女の怒りも受け入れなければなりませんが、だとしても「あの時は少し怒りすぎた」というようなことがあってほしいと思ってます、自分勝手かもしれませんが。
このようなことがあると、他人からは「じゃあ別れればいいじゃん?」という旨の回答が返ってくると勝手ながら予想しているのですが、どうも自分は依存体質らしく、相手がどんなにおかしかったり、どんなに悪くても別れるに別れられない性分なので、辛いです。そのこともふまえ、今僕がどうすべきかアドバイスをもらえないでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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「反省できない人」かぁ。
そういう人、私も経験があります。客観的に見て(つまり誰かが一部始終を目撃していた、として)自分の感情に任せて怒り、「私に謝りなさい」とは言うけれど、自分から謝ることはない。自省することが少なく、つまり自分に甘い。
「ごめん、私が悪かった」「うん、でもコッチも言い過ぎた、悪かったね」と言うのは、言わばセットの言葉で「行ってきます」「行ってらっしゃい」みたいなものです。謝ってきた相手を許す。それは生活上の知恵であり、「自分も至らないところがある」という対等な認識と繋がりがあります。
「ごめん、私が悪かった」「うん、その通りだ」では、ギャグにはなるかも知れませんが、しこりを残します。この辺りは、大概「自分がどう育てられたか」によってパターンが形成されているものです。親からどう扱われてきたのか。親が「子どもは自分と対等じゃない」と思っていると、こうなります。
ということで、貴方が望む状態になるまで、道のりは凄く長いと推測します。「反省できない人」が反省できるようになるには、「自分はココが徹底的に駄目なんだ」を自覚しなきゃならないので、寧ろ頑ななまでに自分の行動パターンを変えなかったりします。そして人が離れていく…残る人への風当たりは強くなる…。
と書くと恐ろしいじゃろか。
そう。「どんなにおかしくとも別れるに別れられない」という自己認識がどれ程か分かりませんが、「相手とのゴタゴタを避けたい」のであれば、このパターンから逃れることは難しいでしょうよ、という話です。将来、何十年と付き合っていく可能性もあるのですから、冷静に考えてみてね。